犬養チエコさんと一緒に
あなたもキレイになりませんか

第156回
無意識の顔の美醜

一時期写真を撮ってばかりいた時期があります。
なにか特別なことがなくても、
友達と一緒に写真をとりまくるのです。
現像した写真を家で見ていると、
隣で一緒に見ていた母と姉が必ず言うのは、
私の写真写りの良さでした。
自分ではよく取れているだんなて思ってもいない写真なのに。
たまに自分でも気に入る写真写りのものなどは、母と姉から
「別人みたーい」とか「あ、顔作ってる」などという
辛辣なコメントが返ってきます。
分かった事は、
『写真で見て知る自分の顔と、周りの人が実際に
 見ている本当の生の自分の顔というのは違うらしい』
という事です。
しかも大抵は写真の顔の方がきれいということです。

これはかなりショックな事実でした。
私は自分の本当の顔を全然分かっていないということだし、
しかも周りの人が見ている顔より
自分の顔だと思いこんでいる顔の方が
ブスであるということが分かったからです。
確かに、カメラに向かって写真を撮るときは
意識的に目を大きめに開いて、口元には笑みを浮かべて
作為的に表情を作っているのでした。
私にとってはこれが目いっぱいの
最高のきれい顔という訳なのですが、
これは一瞬の顔芸みたいなもので、
表情を崩せばそこで終わりのはかない陽炎のようなものです。
それを知ってから何となく写真を撮るのをやめてしまいました。

考えてみれば鏡を見る時も同じなのです。
鏡を覗き込む時は、最高にきれいに見えるような顔つきで
自分を見ています。
だから、鏡を離れた途端に、目は眠たげにぼんやりして、
口角も下がって、自分の作ったきれいな顔とは
別の顔になっているということです。
でも周りの人が知る日常の自分の顔というのは、
こういう無防備で無作為なゆるんだ顔です。
話に夢中になっている時の顔、食事をしている時の顔、
待ち合わせをしている時の顔、テレビを見ている時の顔。
自分の顔がどうなっているのか無意識になっている時こそ
顔の美醜が表れているということです。
無意識の時の自分の顔をよく知っておくとは
とっても大事な事ではないでしょうか。
人生の大部分はこの無意識な顔で送ることになるのですから。

カメラつき携帯電話を買った時、夫が突然私の写真をとりました。
見せてもらうと、とんでもないブスに写った
自分の顔が撮られていたので、
「いきなり撮るからだよ!」と怒りながら
すぐに写真のデーターを消去しました。
こんなの他の人がみたら大変だワ!
だけど夫が言いました。
「何で、変な写真じゃなかったよ? そのまま撮れてたのに。」
私はいささかショックを受けつつも、
無意識な自分の顔を少し知ることができたのでした。
自分にとってよろしくない事実を受け入れるのは時に
苦しさを伴うことがありますが、
結局は真実を知ってよかったのです。
無意識な時にこそ普段のありのままの美醜が表れています。


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