石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第21回
営業ライセンスをもらって正式スタート

会計士のニナガワ先生のご尽力の甲斐もあり、
我々の「台湾小倉科技」は設立を認可され、
年が改まった2000年1月3日に営業ライセンスをもらって
正式なスタートを切りました。
工場ライセンスについては、当たり前のはなしではありますが、
実際に自前の工場を立ち上げたうえで
経済部の監査を受けた後認可される予定でした。

「会社発祥の地」となったオフィスは、
センサーテック台湾支社から借りたもので、
20坪くらいのスペースに机が5、6個くらい縦に並んでおり、
あとは会議室と簡単な実験室、という簡素なものでした。

日本とは違って机のそれぞれにパーティションを巡らしており、
キュービクル構造となっていました。
最初は米系の会社だから
このような作りになっているのかと思っていましたが、
のちに台湾の会社はどこでもこのような作りにしているのだ、
ということがわかりました。

もう一つ、日本と大きく違っていたのは、
部屋、建物に冷房はあっても暖房はない、ということでした。
しかも、台湾の人たちは
なぜか空気の滞留をとてもいやがる傾向があり、
どんなに寒くても、冷房
(といっても外の空気がそのまま入ってくるような感じでしたが)を
点けっぱなしにしていました。

台湾は沖縄よりもさらに南に位置していて、
「暑そう」というイメージしかありませんでしたが、
実際に滞在してみると寒暖の差が思いのほか激しく、
冬の寒い日は気温が摂氏10度を下まわることもありました。
人気・火の気のないオフィスで、
仕方なくコートを着込んでリチャード譚(タン)さんと
夜遅くまで打ち合わせを続けたことでした。

いまだ目前のことにただ必死に取り組む毎日ですが、
譚さんもその頃のことはよく憶えていて、
ともに酒盃を傾けながら思い出話に花が咲くときもあります。


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