石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第29回
ドライさとウェットさを兼ね備えた、台湾の人々

開発技術者の雇用こそ苦労していたものの、
台湾小倉の総経理となったミン徐(スー)は、
彼の人的ネットワークを駆使して、
営業・技術営業・購買・品質保証・経理担当者等
一通りの人材を揃え、
センサーテック社から在庫を引き取った頃には、
自前での会社運営ができるようになっていました。

私は当時月一回程度の割合で台湾に出張していましたが、
最初に驚いたのは、彼らの賑やかさです。
賑やかさは大部分話す声の大きさから来ていたのですが、
話し合っているのか、ケンカしているのか
わからなくなることがままありました。
私も声が大きい方で、静かに働く人の多かったオグラ技研の中では
しばしば浮きあがっていましたが、
台湾の人たちから見ると、最初は随分と大人しく映ったようです。

台湾では、ご存知のように日本のような終身雇用制度はなく、
ミンが引き抜いてきた人材も、
ほとんがいくつかの会社を渡り歩いた後の中途採用者でした。
彼らは、大学時代から就職を睨んで
ある程度の専門性を身につけており、
営業なら営業、購買なら購買、といった具合に
会社は変わっても職種は変わらないのが普通でした。
従って、組織はタテ割で
仕事の中身はハッキリと定義付けられていました。

一号社員のリチャード譚(タン)さんは、
総経理であるミンを立てて、
会社の中の秩序を保とうと気を使っていました。
台湾小倉の人たちの様子を見ていて、
自分の意見や主張を持ってはっきりと表明するところは
欧米の人たちに近いと思えましたが、
面子や上下関係の秩序を重視したりするところは日本人にも近く、
足して2で割ったような雰囲気に新鮮な印象を持ちました。

課題を抱えながらも、新会社の可能性に賭け
参加してくれた人たちの元気さに勇気づけられ、
台湾に出張するのが段々楽しみになっていきました。


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2005年3月8日(火)

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