石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第28回
なんで全部買わなきゃならないの?その在庫

人材集めや開発方針でスッタモンダしている間に
2000年も2月を過ぎ、設備移管を終えて
残りの契約金をセンサーテック社に
支払わなければならない時期に差し掛かっていました。
センサーテック社の外注加工業者だった、
イーサン社から出された委託加工費見積もりは
満足いくほど安くはなかったのですが、
注残処理程度の数量規模では自前の工場を確保するまでもなく、
センサーテック社から引き継ぐ設備を
イーサン社工場内に置いてもらうことを条件に、
センサーモジュールの製造を委託することに決めました。

これとは別に、設備の引渡しまで製造を肩代わりしていた
センサーテック社が抱える在庫を引き取ることが
契約完了の条件となっていましたが、
これを巡って、センサーテック台湾支社と台湾小倉の間に、
ひと悶着起きてしまいました。

契約では、設備引渡しの時点で、
台湾小倉が、製品や仕掛、材料のうち必要なものだけを選び、
簿価で買い取ることができるようになっていました。
しかし、センサーテック台湾支社には、
この条件が本社から伝わっていなかったらしく、
全部買い取れの、価格は時価にしろだのという要求を出して来、
台湾小倉の購買担当はこれを拒否、
とても期限までにはまとまりそうもなくなってしまいました。

私としては、ソフトのライセンスを
当面受け続けなければならないこともあり、
事を大きくしたくありませんでした。
また、在庫自体はセンサーテック社が握っているため、
問題が長引くと製造が追いつかなくなってしまう、
という弱みがありました。
私は何度も米国のセンサーテック本社と連絡をとり、
しまいには在庫は全部引き取るから価格は簿価にせよ、
という妥協案を提示して、
どうにか引継ぎを契約期限内に終わらせました。
しかし、この騒動で必要融資額の確定が遅れ、
南海銀行からの借り入れは
緊急融資のような格好になってしまいました。
グローバル化では先達のはずのセンサーテック社でも、
海外子会社をコントロールすることは
さほど容易ではなかったのでした。


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2005年3月5日(土)

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