石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第34回
責任とって、自分で尻拭いします。台湾赴任を決意

台湾に到着した私は、まずリチャード譚(タン)さんと、
電子メールの解釈に間違いがないか確認しました。
その後、台湾小倉の各社員と面接をし、
総経理のミン徐(スー)をどう思っているか、
一人一人の意見を聞きました。

恐れていたのは、
大半の社員がミンのつてで台湾小倉に入社してきていたので、
もしミンが辞めると
またぞろ人材の引き抜きに合う可能性があることでした。
しかしながら、それぞれの話を聞くうち、
みんなミンの態度に反感を持つか、
あるいはクールに見限っていることが分かりました。

そうなると、今度問題になるのは、
どうやってミンに引導を渡すかということでした。
確かにミンは結果的に総経理としては失格でしたが、
ゼロから出発した台湾小倉に一通りの人材を揃えたのは彼でした。
また、営業経験を通じて培った台湾OEMとのつながりは
将来役に立たないとは言い切れませんでした。

もう一つ、ではだれがこの後総経理をやるのかということでした。
今まで、ビンセント李(リー)、
ミンと二度も人選の失敗をした私にはもう後がありませんでした。
また、幸いなことに2000年4月から
オグラ技研に私よりも年上の経営企画マンが入社していたので、
後顧の憂いはひとまずありませんでした。
ここまで来た以上、後には退けない、自分でやるしかない、
と思い定めました。

ミンとは、会社の外のホテルで話しをしました。
最初はにこやかに席についた彼も、
私が本題を切り出した途端、表情が一変しました。
彼には、営業としてはまだ見込みがあったので、
営業マネージャーへの格下げを提案したのですが、
面子にこだわる台湾人が
そんな申し出を受け入れるハズもなかったのでした。

ミンは、自分が辞めれば業界にウワサも広まるし、
自分に続いて台湾小倉を去る人材が出るかもしれないと
うそぶきましたが、実際には業界のウワサにもならず、
彼を追って会社を辞めた人間も一人もいませんでした。


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2005年3月19日(土)

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