石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第35回
敷かれたレールに拘らず、ゼロから見直したら?

総経理になると言ってはみたものの、
実際に会社を経営したこともなければ
台湾の会社に勤めた経験もありません。
とても一人でこなせるとは思えず、
一号社員として台湾小倉に加わった
リチャード譚(タン)さんに副総経理になってもらい、
経営をサポートしてもらうことにしました。

オグラ技研には、その年の4月からコスゲさんという、
新しい経営企画担当のマネージャーが入社していたので、
彼に私の日本における残務を引き継いでもらうことにしました。
彼は、大手商社から電子機器メーカーに移って
その米国支社に駐在していたのですが、
お子さんの教育問題で日本に帰らなければならなくなり、
オグラ技研に転職してきた経緯がありました。

コスゲさんとは意見が合わないことも多々ありましたが、
少ない時間でも一緒に仕事させてもらったことで
とても勉強になりました。
というのは、私がオグラ技研に中途入社した当時、
大部分を占めていた生え抜き社員との間では、
仕事のことで議論する機会が皆無に等しかったのですが、
彼は、私の仕事の進め方について、
否定的な意見も含めて率直に伝えてくれたのでした。

コスゲさんに言わせれば、
台湾小倉の経営やセンサーモジュールの開発が
あまりうまくいっていないことに対する私の説明は、
「今さら製品開発のコンセプトを変えられない」とか、
「今の組織体制・人員ではこうしたやり方しかできない」といった、
視野が狭く、柔軟性に欠け、受身で他人本意なものでした。
会社経営やプロジェクトの管理にあたっては、
現実の制約条件をすべて外した状態で、
結果を得るためには
どんな進め方が一番望ましいかを常に念頭において、
それに沿った手を主体的に打っていかないと、
最終的にはできあがったものが当初考えたものとは全く違う、
つまり成功はおぼつかない、と言うのでした。

私は、半分コスゲさんの挑発に乗るような格好で、
台湾赴任を決意し、
会社経営というものを体で感じる道を選んだのでした。


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2005年3月22日(火)

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