石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第94回
情ですか、理ですか?

先日、たまたま大河ドラマ「義経」を見る機会があったのですが、
御家人の処罰を巡って、
武家の主従関係を「契約」以上でも以下でもない、
と見る源頼朝に対し、
「平家(平清盛)には情けがあった」
と義経が反発するシーンがあり(本当かどうか知りませんが)、
興味を引きました。

引き続いて放映されたNHKスペシャル
「日本の群像 再起への20年 第2回銀行マンの苦闘」では、
日本長期信用銀行経営破たんへの道筋が、
同時期のゴールドマン・サックスに代表される
外資系投資銀行の台頭と対比される形で描写されていました。
結果的に向こう見ずだった大規模な外国投資等の結果として、
バブルの崩壊により雪だるま式に膨れ上がった不良債権を、
貸出先に時間的猶予を与え、
あくまでも自主再建により回収しようとしていた長銀が、
アメリカの金融自由化要求によって
護送船団方式と呼ばれた金融管理体制を取りやめた通産省に
「見限られ」、外資の傘下に入っていく過程が描かれていました。

昨今、経営者にとっての「時間」は長いものではありません。
欧米系の会社、特に株式上場している会社は
四半期ごとに業績がモニターされ、
思わしくない状態が2期続けば
株主によって即経営陣更迭の検討が為されます。
「悪い芽は早目に摘み、良い芽を伸ばすのが健全な資本主義経済」
というのが彼らの意見です。
もっともですが、
ここでいう「良い、悪い」は必ずしも倫理的な観念ではなく、
業績が「良い、悪い」という意味です。

このような状況下で、他社に煩わされず、
自分の信念に基づいて長期的な目で企業経営を行いたい場合、
株式上場しない、という選択肢があります。
ダスキンの代理をしている「武蔵野」や、
トレハロース等で有名な「林原」が良い例で、
私も経営者の端くれとして注目しています。
「情け」一辺倒でも勤まらないし、
かといって「理屈」一点張りでも人がついてこないのが
経営というもので、その辺のバランスをうまく取りながら
社会貢献していくことが、経営者の価値と認識し、
自戒の念を以って番組を拝見しました。


←前回記事へ

2005年6月16日(木)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ