石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第132回
20代前半の家族旅行〜ハワイ

1991年に結婚した時の新婚旅行は
JTBの旅行パックでヨーロッパへ、
長男が生まれてから一年後には早速、
アイルの旅行パックでハワイへ出かけました。
卒業旅行の時の気楽さが忘れられなかった私は、
「お仕着せのツアーはつまらないなぁ」と思っていましたが、
当時のうちのかみさんは
「安全はおカネで買える」という思想の持ち主で、
その意見に押し切られました。
結婚してみてまず痛感したのは、
おカネの使い方や世間体への価値観の違いでした。

新婚旅行はイタリアの各都市を周って最後にパリから帰国する、
という一般的なパックだったのですが、
6月(ジューンブライド)ということもあり、
同行客がすべて新婚カップル(!)という、
うれしハズカシの道中となりました。
80年代後半の急激な円高進行と同調するように
日本人の出国者数が1990年には1千万人の大台を超え、
若い女性がパリのブランドショップを占拠して、
現地の人たちから白い目で見られるという時代でした。
「旅の恥は掻き捨て」といった形容詞がぴったりの
団体旅行の有様でした。

「おのぼりさんツアー」とは一線を隠した
高級志向が出始めたのもこの頃で、
ジャルパックが「アイル」という
新ブランドを誕生させたのが1991年でした。
例えばハワイですと、
ハレクラニ、ロイヤルハワイアン、
ハイアット・リージェンシー等といった
ワイキキ・ビーチのラグジュアリーホテルに泊まるパックが
目白押しでした。
「どうせ泊まるなら良いホテルに」
というかみさんのささやきに惑わされて
我々が泊まったのはモアナサーフライダーでした。
1901年創業で老舗といえば老舗ですが、
タワー棟が増設されており大型リゾートホテルに変貌していました。
それでも、夕方になると
ビーチと目抜き通りをつなぐロビーを吹き抜ける風が
何とも心地良かったことを覚えています。

結局ハワイにはその後3年間連続で行ったのですが、
最後の年にケチってアラモアナ・ホテルにしたら
高層階の部屋にはバルコニーが無く当然窓が開かずで
まったく気分がでず、大変がっかりしました。
やはり、貧乏性のままリゾート気分を味わおうなどというのは
セコイ根性ですね。


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2005年8月9日(火)

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