服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第13回
サンテグジュペリ流ブレスレット

ブレスレットをする奴なんぞ気障だ、という人がいます。
さて、どうでしょうか。

1999年、サンテグジュペリ(1900〜1944年)の
ブレスレットが偶然にも発見されたことがあります。
南仏、マルセイユ沖でトロール網にかかったのです。
およそ54年間海中に沈んでいたわけですから、
表面には付着物がたくさんついていました。
が、これをはがすと、純銀製ブレスレットに
”アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ”の名前と並んで
”コンシュエロ”と妻の名、さらには
アメリカの出版社の名前と住所とが記されていたのです。
おそらくは出版社が名前を刻んで贈ったものでしょう。

このサンテグジュペリのブレスレットを
気障、ときめつける人はまずいないはずです。
要するにその小道具に
どのくらいの気持が込められているのか否かで、
気障であったりなかったりするわけです。

なにか目立ってやろうとか、
少しでもモテるんじゃないだろうかなどと、
軽い気持で身につけたなら、
どのような金銀宝飾もキザな代物になってしまう。
銀か、金か、プラチナかはさておき、
なにかの記念日にしっかりと思いを込めて
あつらえの装身具は
必ずやその人の分身となってくれるはずです。

たとえばお気に入りの腕時計がひとつあったとする。
と、それに給わせた色調や
デザインのブレスレットを新調する。
もちろんそこには
新調の理由と名前などを彫ってもらうべきです。
自分たちだけに分る頭文字だけという方法もあるでしょう。
そしてこのブレスレットを腕時計と並べて、
同じ手首にあしらってみる。
これはなかなか繊細で、
優雅なブレスレットのおしゃれだと言えるでしょう。

「私にもしものことがあったなら、
このブレスレットを手がかりにしてくれ」
と言える人はむしろ幸福(しあわせ)なんでしょう。
それでもなおキザと思うような人には、
どうぞサンテグジュペリの話をしてあげて下さい。


←前回記事へ 2002年10月6日(日) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ