服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第308回
ハワイアン・シャツ

高田保を知っていますか。
高田保(たかだたもつ)(1895〜1952年)、随筆の名手。
代表作に『ブラリひょうたん』があります。
もし、ご興味がおありなら、
一読されてみてはいかがでしょうか。
いずれも短い文章が大半ですから、
楽々と読むことできます。
そして時代をこえる面白さを持っているのです。

その『ブラリひょうたん』のなかに
「アロハ・シャツ」と題する随筆があります。
写真で見た、アロハ・シャツ姿のピカソにふれた文章。
これもまた名文なのですが、
まだお読みではない方のために、伏せておきましょう。
そしてその文章の最後は、
浴衣地でアロハ・シャツを作ってもらいたいなあ、
という内容で終っています。
浴衣地のアロハ・シャツ、
高田保はほんとうにそれを着たのでしょうか。
さあ、それは分りません。

浴衣地であるかどうかは別として、
アロハ・シャツそもそものはじまりが
日本の着物地であったことを考えれば、
これまた鋭い指摘であったのではないでしょうか。
日本では主として「アロハ・シャツ」。
でもアメリカでは多く“ハワイアン・シャツ”と言います。
最初に“ハワイアン・シャツ”を作ったのは、日本人である。
これはまず間違いないところでしょう。
古い時代にハワイに移民した日本人が、
着るものに困って、
着物をほどいてシャツに仕立て直した。
だから初期のハワイアン・シャツは
ほとんど例外なく絹地であったのです。

アロハ・シャツと耳にすると、
何もいまさらという気持にもなるでしょう。
でも、そもそもは日本人の工夫ではじまった
“ハワイアン・シャツ”といえば、
また別の印象が生まれるのではないでしょうか。
しかも今のようにレーヨン地ではなく、
しゃれたプリント地のシルクのハワイアン・シャツ。
たとえば夏休み、白いコットン・パンツの上に
シルクのハワイアン・シャツ。
きっと涼しい風が吹いてくれるでしょうか。

さあ、プリント地を探して、
誰かにハワイアン・シャツを作ってもらいたいなあ。


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2003年7月28日(月)

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