服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第620回
おしゃれなおしゃれな消夏法

最近、落語を聴いたことがありますか。
実は私、大の落語好きなのです。
いや、好きとか嫌いとかをこえて、
落語は日本の宝だと思っています。
少なくとも古き良き時代の日本語の宝庫であることは
間違いありません。
もしも上手な文章を書こうと思ったなら、
落語をじっくり聴くのが
最短の道だと考えているほどです。

そんなわけですから、
落語なら何であろうと大好きです。
けれども好みを言わせてもらえば、
五代目古今亭志ん生。
志ん生の前に志ん生なく、
志ん生の後に志ん生なし、
といえば少し大げさでしょうか。
私は言葉の芸の最高峰だと思っています。
ためしにひとつ聴いてみませんか。
志ん生は少なくとも
CDやカセットなどが残っています。
さて、今の時期ならたとえば「唐茄子屋政談」。
堪当された若旦那が、
夏の炎天下、唐茄子を売り歩く話。
唐茄子は今でいうカボチャのことです。

夕食の後、少しばかり時間をつくって落語を聴く。
耳があればいいのだから、灯りは要らない。
電気は消しましょう。冷房もなし。
江戸末期の話ですから、
冷房がないほうがより情感が伝わってくるでしょう。

たとえば「馬の背を分ける」という形容が出てくる。
もちろん、ごく局地的な雨の降り方のことです。
あるいは「竺にいちぢくの葉を入れる」という智恵が出てくる。
これは炎天下を歩く時の断熱材代り。
まさに江戸の智恵でしょう。
と同時に、日本人ならではの
きめの細やかな愛情表現でもあるのです。
さらには良くも悪くも含めて、
江戸の暮らしの一端をのぞくことができるでしょう。

同じ、「唐茄子屋政談」でも
録音の時期と場所によって、
かなり話の内容が違ってくる。
どこがどんなふうに違っているのか。―
そんなことに興味を持つようになれば、
もうすでに落語ファンのひとりでありましょう。

それはさておき、
落語に耳を傾けるのは
夏の夜の優雅な時の過し方であり、
上手な消夏法ではないでしょうか。


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