服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第775回
視線こそおしゃれ心のはじまり

注目される機会は多いほうですか、
少ないほうですか。
常に人から注目されるのは、
とても良いことです。

たとえば神社仏閣などの仏像が、
人の手でさわられる部分だけ、
ピカピカに光っていることがありますね。
あれは結局のところ、
人びとの手によって
毎日のように磨かれているわけです。
磨かれたなら光るし、
磨かれなかったなら錆びてゆく。
これは当り前のことです。

人の手も、人の視線も原理としては
似ているのではないでしょうか。
つまり人の視線によって磨かれることもあるのです。
もちろん好意的な視線でなければなりませんが。
より良く注目されることは、
それを受ける人間にとって、
より良い刺激となるのです。
無人島でひとり暮しをしていて、
おしゃれ心を磨くのはなかなか難しい。
好意的な視線がまったく無いからです。

つまりより良いおしゃれをしようと思ったなら、
常に良い意味で注目される人間であることです。
ただし、注目されることと、
目立つことは少し違います。
さわやかに注目されることであって、
派手で目立つこととは別です。

そしてもうひとつ。
せっかく注目されているのに、
それに鈍感でも困ります。
されに一歩進めていえば、
仮に極上の視線でなくとも、
自分の心のなかで
好意的な視線であると解釈すれば、
それはより良い刺激となってくれるのです。

一例をあげるなら、
上着の胸ポケットにあしらうポケッチーフがあります。
「気障だよ」なんて言わないで、
一度試してみたらどうですか。
ほんの少し、胸ポケットからのぞかせるだけでも、
より良い注目がはじまるかも知れませんよ。
視線によって、
さらにおしゃれ感覚が磨かれることでしょう。

ポケッチーフを飾るかどうかはさておき、
人の視線でさえも上手に利用しようとする人が、
結局はおしゃれ心を持った人
ということになるのでしょう。


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