授業料は払ってきた
もっとも、大金持ちであることと、大金持ちらしいと評判を立てられることの間にはそんなに大きな違いはないという考え方もある。戦後の一時期、大阪造船の南俊二さんや高荻炭鉱の菊池寛実氏らが、三鬼陽之助さんから日本を代表する大金持ちであると盛んに書き立てられたことがあった。大金詩ちと評判を立てられると、税務署に目をつけられるという心配もないではないが、銀行にお金を借りに行くと、簡単にお金を貸してくれるというトクな面もありますよと、生前の南さんが言っていたのをきいたことがある。インフレと高度成長の続いている間、借金できる人とできない人とでは、お金儲けに大きなチャンスの違いが出てくるから、これは悪い話ではないのである。
都合のいいことに、自分の財産が本当にいくらあるかは、他人にはわからない。そんなことは政治家ならいざ知らず、世間様に公表する必要もないし、政治家の公表する財産目録だって誰もまともに信じたりしない。まして資産家は、ケチケチしてはじめて今日があるのだから、お金があってもケチなのが当然と思われているし、お金のない人と表面を見ただけではあまり区別がつかない。
本当はお金がなくてケチケチしていても、「あのくらい始末屋でなければ、とてもあれだけの大金持ちにはなれないだろうからなあ」とかえって感心されたりする。その上、私がいつも言っているように、手取りで使えるお金が毎月百万円あれば、あとはいくらふえても大体、同じだから、大金持ちでも小金持ちとそれほど違った生活をしているわけではない。
ただし、資産のある人とそうでない人は死んだときに差が出てくる。資産のある人は、死ねば相続税がごっそりかかってきて、鹿島建設の社長や大正製薬の社長のように、莫大な遺産額が新聞を賑わせる。しかし、私などは、「実より名のほうが高い」ほうだから、実際に税務署が調べにきても高額納税者の仲間に入ることはまずない。
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