表通りは大暴騰
しかし、その後、経済の発展にともなって、建築ブームが起きると、古い二階建ての家をこわして六階建てから十階建て、さらに十六階建てのビルが立ち並ぶようになった。
香港の建蔽率は、日照権など一切問題にせず、一律に敷地の十五倍だから、百坪の土地に千五百坪のビルが建つ。おかげでニョキニョキと鉛筆のように細くて高いビルが次々と建つようになったが、商売のできる表通りの土地は暴騰につぐ暴騰で、遂に世界一の地価にはね上がった。
もうその頃には、私は妻と娘を連れて東京へ去っており、私たちは香港の家を約二十年近くも人に貸して、まだ収入のなかった頃はその家賃で何とか身過ぎ世過ぎができた。二階建ての建物をもう一階建て増し三階建てにし、それをずっと人に貸していたわけだが、途中何回かこの家を売ろうと考えたことがあった。
日本に住んで直木賞をもらい、小説家として一人立ちできるようになったとき、もうこれから先はずっと日本に永住することになるだろう、それなら香港の家は処分して、そのお金で東京に大きな家を買いましょうと、家内は私に提案した。香港の家は売れば十万香港ドルくらいには売れ、それは当時の日本円になおすと六百万円に相当した。
東京の土地は日吉あたりなら坪一万円以下、世田谷あたりでも一万円くらいだったから、五、六百坪くらいの地所のついた家が一軒買える値段だった。もしそのとき、家内の言うとおりにしていたら、いまは坪二百万円としても、十二億円くらいにはなっている勘定である。
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