現代の「西鶴」めざし
一体、知名度があることと、隠れた大富豪であることと、どちらが望ましいことであろうか。
人はみな、お隣のお皿が美味しそうに見えるものだから、向こうはこちらを羨ましく思い、こちらは向こうを羨ましがるということも考えられる。では、小説家になることをやめて、大富豪になる道があったかと言うと、これはやはり運命なんだろうなと考えさせられる面がある。私はやはり小説家になるよりほかない宿命があり、回り道をしてからまた経済と結びつく筋書きになっていたとしか考えられない。
昭和二十九年から約六年間、私は小説を書き、オトナの雑誌からコドモの雑誌まで、また小説から文明批評から食べ物の話に至るまで、守備範囲を拡げて、約十本の連載をするようになっていた。
私は『中央公論』に「西遊記」という二千五百六十枚に及ぶ大長篇を連載中だったし、大流行作家とはいえないにしても、流行していないともいえない存在であった。しかし、これまでに述べてきたような経歴からも想像できるように、私は文学のワクの中に到底おさまりきれないような生き方をしてきた。
人間の観察をするのが文学の主要な仕事であると私は思っているが、それだって色気という動機だけで割り切れるものではない。私が見ていると、敗戦の何もなしから再出発した日本であったが、日本の経済は明らかに、大へんな勢いで浮上する方向に向かっていた。日本の歴史をふりかえってみても、元禄時代には井原西鶴という人がいたのだから、物書きの中に一人くらいお金のことが書ける人がいてもいいのではないかと私は思った。
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