そうした利回り買いは、戦前、戦中、戦後を通じての一般投資家の株式投資の常識であったが、私は全くのシロウトであったし、株式投資に対する固定観念を持っていなかったので、まずこうした考え方に疑問を抱いた。
第一に、相撲の世界を見てもそうだが、横綱がいつまでも横綱ということはない。場所ごとに強いのと弱いのが入れかわって次の横綱が現われる。産業界にも結構、同じような傾向があって、産業界には引退こそないが、次の横綱になるものが必ず現われる。それならば、今の横綱をひいきにするよりも、未来の横綱を、まだペイペイのときからひいきにしたほうが効率がいいのではないか。
第二に(その当時は高度成長という言葉もまだできていなかったが)、私が見ていると経済がかなりのスピードで発展する動きだったので、産業界の番付の入れかわりは、以前よりずっと、めまぐるしく起るのではないか。
第三に、発展する会社ほど資金需要に追われて増資をするスピードが速いし、増資しても配当率を落とさないですめば、株価はまたすぐ元の高値に戻る。額面で払い込んで、株数は幾何級数的にふえるのに、株価が元の水準を維持すれば、利回りを根拠にして株を買うよりも、成長性を根拠に株を買うほうが報われるチャンスがずっと大きくなるはずである。
こうした私の判断は、やがて私の「成長株」理論につながっていったが、もちろん、最初から直感的にそういう考え方に到達したわけではなかった。私は、社会現象や人間の動機を見るのに、額面通りに受けとるよりは、もう少しねじ曲がった解釈をするほうだから、株価が究極的には企業の業績や景気の動きに左右されるとしても、やはり私利私欲に駆られた株屋のお金の力で動かされているのだと考えたかった。
実は昭和三十年代も半ばに近づくと、株式市場は俄かに活況を呈し、まだ野村は戦列に加わっていなかったが、日興、山一、大和、それに山種が投資信託をはじめ、漸く「大衆投資家時代」の幕開けにさしかかったところであった。
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