第四章 儲かるはずの事業が… 脱サラ組に食われた「コイン洗濯屋」
「お金儲けの神様」の由来
私などとりたててお金儲けがうまいわけでもないのに、いつの間にか「お金儲けの神様」にされてしまったのだから、考えてみればおかしな話である。
思うにそれは、私がジャーナリズムで臆面もなく金銭の話をするようになったからであろう。お金の話をするということとお金があるということは全く別のことであるが、お金のことにあんなに詳しいのだから、きっとお金もあるに違いないと短絡的に思い込まれてしまうに違いない。
第二に、ジャーナリズムでお金の話をする人は、ほかにもたくさんいるのに、私にだけお鉢がまわってくるのは、経済の話や利殖の話をする人は、リクツとしてその話をするが、自分でそれを実践している人が少ないということであろう。実践しているといっても、たいしたことはないのだが、とにかく私は実行力を伴っているし、言行一致という面もある。
失敗も多いが、いくらか成功した面もあって、それがビルになったり、事業になったりしているから、多少は人の目につく。そこでお金もがっぽり貯め込んだに違いないと思われてしまうらしいのである。
第三に、もし私の手がけた事業が大成功をして、庶民の手の届かないような大事業になっていたら、恐らく私は「お金儲けの神様」にはなっていなかったであろう。私が思いつくような事業や投資は、無一文からはじめられるものもあれば、少しばかりお金を貯め込んでいる人なら、それを元手にしてスタートできる程度のものが多い。しかも私の場合はうまく成功をしても、中くらいの成功にすぎないから、見ている人が安心するし、そんなに嫉妬を感じないですむ。
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