中国株、初心者にもわかる投資術-中国株で財産をつくろう-小泉 鉄造

小泉鉄造さんが明かしてくれる、
株式投資の虎の巻

第1127回
訃報から

アイザワ証券の佐々木一郎さんが亡くなられたのが
2005年3月31日でした。
佐々木さんとは機会があり、
セミナー講演や企業訪問などでお会いしていました。
私が最後にお会いしたのは
「小泉鉄造と行く、北京企業視察ツアー」で
北京で2004年12月にあったのが最後でした。
北京で事故にあったが大したことがないということを聞いた後、
しばらくしてくも膜下出血で亡くなったということを聞きました。
よく笑う人でした。

そして豊島信彦さんが
2009年4月23日に急性心筋梗塞で亡くなられました。
豊島信彦さんはアジアの証券関係の仕事をやっておられた方です。

私が豊島さんと最初に会ったのが
口座を開くために平岡証券に行ったときが最初でした。
いまから約十年前です。
豊島さんは外資系証券会社から平岡証券に移った時期でした。
その後、平岡証券株式会社は藍澤證券と合併しました。
その頃は佐々木一郎さんと豊島信彦さんが
アイザワ証券で一緒に働いていた時期です。
豊島さんはその後アイザワ証券を退社し、
ユナイテッドワールド証券に勤めましたが退社し、
BRICSプラス11経済研究所を平成20年12月22日に立ち上げ
活動したばかりでした。

佐々木さんにしろ豊島さんにしろこれからというときの死でした。
年齢的にも佐々木さん豊島さんと私は近い年齢でした。
二人の死は同世代で中国株関連に携わっていたものとしては
非常に気落ちがするニュースでした。

私も2007年5月に脳内出血で倒れた後命は助かりましたが、
佐々木さんと豊島さんの死から考えさせられたことは、
人の死はいつやってくるかわからない、
だから今やれることはなるべくいまやっていき
後悔しないようにするということです。

中国株式投資でも少し資産ができたなら、
少しずつ使っていくことも考える。
資産を造ったはいいが、
老齢になりすぎていて食べたいものも食べれない、
お金を使うところもなくなっていたら
何のために資産を造ったかが分からなくなります。

生きているうちが華です。
投資している間でも将来使えるお金ができたら
使い道を考えて楽しむくらいの気持ちがあれば、
人生また楽しむことができます。



当ページは、投資勧誘を目的として作成されたものではありません。
あくまで情報提供を目的としたものであり、一部主観及び意見が含まれている場合もあります。
個別銘柄にかかる最終的な投資判断は、ご自身の判断でなさるようお願いいたします。


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2009年5月8日(金)

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