前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第4回
買取は夢か幻か

我々は店を捜しましたが、なかなか手頃なのは見つかりません。
そこで無理だとは思いましたが、
試しに会社を買いたいという希望をオーナーにしてみました。
一見して無謀な提案を受けて、
オーナーが店にミーティングにやってきました。
「こちらは人を減らして出費を抑えて、
ホールディング会社に今まで通り送金を続ける。」
「頭金は何百万円かは出せるが、
残りはそのホールディング会社への支払いでまかなう」
といった案を用意しましたが、
彼はもうあんまりやる気がないようだから
もしかしたらなんとか・・・と思っていました。

オーナーはグレーの髪を綺麗に分けた
身だしなみのよい紳士でした。
店の地下室のソファーで筆記は無しで話し合いました。
それから二時間。
「英語」を使ったミーティングは簡単に終わりました。
具体的な詰めを残して
概要が初回の話し合いで一致してしまったのです。
「何だかいや簡単に決まったな」と、皆が思ったんです。
緊張の中にも和やかな雰囲気のまま、
双方の希望が充分に取り入られて実りある会合でした。

ただ一点「負債4000万円は買手が引き継ぐ」を除いては。
そういうこととは我々は解らなかったのです。
会社に有在するものだけを買うつもりで、
会社のエコノミーを
一切合切受け継ぐものとは考えていませんでした。
オーナーも売り買いの普通の常識が頭にあるので、
借金抜きで会社を買いたいという
勝手な提案とは気付かなかったのです。
あとで双方が気が付いてこの話は終わりました。
それで又、店探しの再開です。
ちなみにこの店は我々が辞めた直後に
スウェーデンのチェーン店に売られて
スウェーデン人が乗り込んできました。
店の床はぴかぴかの白いタイルが貼られ、
新しい棚やディスクは鮮やかなチェーン店の色で統一されました。
しかしプリントの機械はずっと同じ物を使い続けて、
海外からの同業者が珍しがる年代物になってしまいました。
そしてテイク・オーバーから5年ぐらいで店を潰して撤退しました。


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2004年7月22日(木)

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