前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第11回
消えた看板

値引き競争が始まったので
対策としてコダックに我々の値引きの解禁を頼むと、
さすがに許してくれました。
売り上げが伸びないので、
その頃としては思い切って50%引きで勝負しました。

歩行者天国の看板は総て禁止になったのですが、
毎日行進する「近衛兵の通行の邪魔になるから」というのが
理由でした。
それでも同じ横道のレストランをはじめ、
過半数の店が構わず看板を出し続けていました。
我々もその根性を見習って恐る恐る看板を出しました。
すると「なあーんだ、大丈夫ではないか」と、
たかをくくり始めたある日に、
気が付くと、歩行者天国の看板はいっせいに消えてしまいました。
トラックで全部持っていってしまったのです。
取り返すには罰金を払って
取り返しにいかなければなりませんでした。
市の倉庫に処狭しと並べられた看板の中に
「50%引き」の文字は虚しく目立っていました。

罰金は結構高かったので、
その後はこちらは安手の看板を作って
取られたら放っておくという戦術に出ました。
小さくてあまり目立たないので
たくさん作ってあちこちに置きました。
生き残りに必死なのはあの近所のレストランも同じで
取られても取られても
「罰金を払っても出していく」と宣言しました。
歩行者天国ができてから
いままで二十年も看板を出し続けているので、
いまさら簡単には諦めきれないのでしょう。

こちらはそこはへなちょこだし、
日本人は順法しないと気分も晴れないので、3、4回で諦めて、
手作りのダイレクトメールや
直接訪問などの戦法のみに頼りました。
大変な割には余り効果はなっかたけれど。
ちなみにこの法律の言い始しっぺは
コペンハーゲン市の女性の副市長でした。
その後すぐに副市長をやめてしばらくして、
なんと彼女は我々の店にフィルム現像にやってきました。
勿論文句をいう筋合いではありませんが
「もっと早くやめてくれてたらなあ」と後で二人で嘆きました。


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2004年8月2日(月)

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