前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第21回
2軒目も大変だ

二つ目の店は駅から歩いて5分の街角にありました。
建物の古いのはともかくとして、
店の中は汚くて、カビの臭いのする地下がありました。
何とかしたかったのですが、
店を明け渡してもらったのは一年で一番忙しい夏の終わりでした。
三週間のデンマークの夏休みシーズンが終わって、
旅行から帰って来た人達がたくさんフィルムを持って来ます。
取りあえず何の手も加えずに、
元の看板さえ取り替えずに店を続けました。

店の開いている時間帯は私は1軒目の店の仕事で手一杯でした。
私はパートナーだからそれは当然です。
5時半に終わってから私はその店にキャッシャーを閉めに行きます。
初日はキャッシャーには溢れるほどお札が入ってるのを見て
一瞬喜びました。
「しかし待てよ。」
よく数えてみると
インド人の見せてくれた去年の数字にまったく及びません。
この時期にこの数字では赤字です。
でも”一日目だけではまだどうこうということもない”と、
自分に言い聞かせます。
その日にお客の持ってきたフィルムはドイツのラボに送りました。

そういう状態が数ヶ月続いたある日、N君は
「あそこは昔から続いてる写真屋だってね。
あれなら半分づつの共同経営にしてもいいよ」
と申し出てきました。
こちらは元々そう提案してるのだから文句はありません。
店は有る程度見通しがたって、もう安全圏に入っていましたので、
二つの店の権利も給料も
半分づつにしようということになりました。
これで機械がフルに利用できるので、
予定していた利益があがります。

8月に二店目を始めてもう冬になっていました。
債権者が1人から2人になるだけなので
インド人は保証人を続けてくれるものとばかり思っていたのですが、
彼は金を払わんと保証人にはなってやらないと言出しました。
すでに相場の倍のお金を払っているのに厳しい要求です。
それではお断りです。
断ったので2軒の店を共同で持つことが出来なくなりました。
しかし、これを機会にN君が卸値を下げてくれました。
ドイツのラボに送る代わりに
自分たちに仕事を廻したので二店とも楽になりました。
そして「将来は一つの会社にする」と約束しました。


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2004年8月16日(月)

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