前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第119回
豊饒の大地だが

チュンの義兄のやっている工場に連れて行ってもらいました。
プノンペンの町外れにある作業場には、五人の若者がいました。
義兄と私達一行の登場で、
てんでに寝転がったりテレビを見ていた若者達は、
居住まいを正しました。
彼らは作業場を盗賊から守るために、
いつもそこに寝泊りしているのでした。
色々なリスクがあって、
なかなか予定どうりには事業を展開出来ないのが感じられました。
これとは別の日にカンボジア人のガイドとも話しをしましたが
「やっとこの頃になって
家族の者だけは信頼できるようなりました」
と言っていました。
密告が奨励されて、家庭の内部にも密告者がいて、
中国の文化大革命を真似して
それを徹底させたような社会だったようです。

予定の場所は一応回ったので、
彼らのうちで一休みすることにしました。
建物の外壁がボロボロなぐらいでは驚きませんでしたが、
窓もランプも無いために中は真っ暗でした。
アパートの階段を上るのに、
昼間だというのに懐中電灯で足元を照らすのです。
階段は層状に剥がれて凸凹で躓きます。
踊り場の辺りがボッと明るくなった、と思ったら
そこの壁は全部崩れ落ちて隣の建物の壁が見えるばかりでした。
ぼんやりしてしたら下に落ちます。
これにはビックリしました。

もう一つ階をあがると、キッチンもトイレも共通の通路にある、
1部屋だけの彼らの住まいに着きました。
壁にはおかあさんとチュンと、
私のいない間に店を手伝ってくれている、
一家の一人息子のソピアの写真が飾ってありました。
以前はこの部屋に全員が寝泊りしていたのです。
ところが、その今にも崩れそうな建物の、
その1部屋のみで2百万円と聞いてまたビックリ。
ほかの物価に比べると異様に高いのです。
街中は比較的安全なので、住居は非常に高いのでした。

窓にはナマズのような魚の開きが幾つも干してありました。
頭と尻尾は付いていますが体は八つ裂きです。
湿気が多いのでそうしないと干しきれないのですね。
チュンへのお土産でした。
穴を掘っておくと雨季には水が貯まって、
そこに魚が沸いてくるくらいなのです。
だからチュンは
「魚や海老なんかその辺で取れるので買ったことは無い」
と言っていました。
果物だって買ったこともないし、
たくさん輸出するほどの穀物も採れたのだそうです。
ポルポト時代はこの豊かな土地で飢えたのだからひどいものです。


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2004年12月30日(木)

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