前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第120回
死者のうずまる野辺にて

フランスで学び、
しかし途中で初志を貫くことをやめて
カンボジアに戻ってきたポルポトでした。
それが軍隊の派閥を作り、
中国の援助を受けて急速に勢力をのばしました。
そのポルポト軍の拷問場跡を見学しました。
人々はここで反省や自白を強要されて、
その後で殺されたのでした。

校舎を作り直した拷問場の壁には無数の写真が貼ってあります。
なぜかクメール・ルージュは処刑する前に、
処刑される人の写真を撮って残したのです。
犠牲者の写真のほかに、
新しく赤いクメールに入隊した
嬉しそうな少年兵の写真もありました。
その時点では、まだ自分達が何をやらされるか分からず、
希望に満ちた明るい表情が印象的です。

少し郊外に出て凸凹した野原に案内されました。
草原の大きくへこんだ所には人が埋まっているところです。
死者に被せられて平らになった土にも雑草が生える頃になると、
その部分が陥没するのでした。
「社会組織が新しくなると新しいタイプの人類が生まれる」
と、いう空想が、
“新しくなれない”と、烙印された都市の人間と
インテリという“劣等国民”を産み出しました。
カンボジアに突然、十万単位の政治犯が生まれたうえ、
処刑や病気や飢えで百万単位が死亡したのでした。
理想を掲げた全体主義の、結果のひとつがここに有りました。
しかし、これも外国の支援が無ければ起こり得なかった惨事です。
よその国を援助するなら事前に良く調べて、
その結果も見届けながら援助をしないと、
こんなことも起こるのですね。
カンボジアの場合はおそらく全体の援助のかなりのパーセントが、
調査の方面に回されなければならなかったのでしょう。

町の小学校校門の外で、
子供連れの女性が小さな焚き火を焚き始めました。
見ていると何かの粉を練って薄く延ばし、
焚き火の上で二本の棒を上手に操って
大きな薄焼き煎餅のような物を作りました。
休み時間に食べ物を買いに来る子供達を当てにして、
おやつを作っているのでした。
出来上がるとお母さんは横になって休み、
小さな女の子が店番をしました。
古寺跡のTシャツ売りや、
椰子糖を売る、明るく可愛い子供達もいました。
自力で生きていくカンボジアの新しい世代に幸いあれ、です。


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2004年12月31日(金)

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