前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第223回
もやし屋さんの栄光と没落

Sさんの買ったもやし栽培の機械は、
順調に動いていれば「お金を作る機械」になってくれました。
ところが、最初のうちは故障が多くて気の休まる暇がありません。
技術者に定期的に整備してもらいますが、
マニュアル通りでは機械が正常に動かないので、
後でもう1度自分で調整していました。
夜中に放水機が故障したら、「1晩で40万円がパア。パア!」
と、Sさんは手を広げ、口を丸く開けて言いました。
夜中に「はっ」と思いついて、
気にかかっていたところを見に降りていくことが何度もありました。

甲斐あって、Sさんの見込み通り、もやしは売れ始めました。
そのうち、
デンマーク最大のスーパー・チェーン店に注文が取れたので、
販売の方は楽になりました。
相手の条件は「よそのスーパーには卸さない」ということでしたが、
それだけでも大変な量なので、承諾しました。
工場のある大きな建物と敷地を買い取り、規模も大きくして
たちまちのうちに代金を回収しました。
仕事が大きくなって大変忙しいせいか、
物忘れをするようになったことを除いては、大変順調でした。

しばらくするとデンマーク人が起業して、同業者ができました。
そして、なんと、Sさんと同じスーパーにも卸し始めました。
起業以来アップアップしていた、その会社の女性の社長が、
ある日Sさんのところにやってきました。
なかなか思うように利益があがらないことを嘆いてから、
本題らしい、年に1回のスーパーとの契約更新の話になりました。
そして「利益がでなくては仕方ないから、
互いに値下げ交渉に応じないようにしよう」と言い出しました。
もやし談合です。
人の良いSさんは同意したのですが、
さて契約更新の時、
予想通りスーパーは値下げを要求してきました。
約束通り断わると、意外なことに相手は強気で、
契約打ち切りになったのでした。

それから数週後に、その同業者が値下げをして、
総てのもやしを引き受けているのに気づきました。。
それからまた少しして、
オランダで大規模に生産されたもやしが、
大量に輸入されるようになりました。
中小企業がやっていける時代は、あっという間に終り、
「もうやってもしょうがないよ」ということで、
Sさんは廃業しました。
お金のためには働かなくてもよいのですが、
頭を悩ます問題がなくなったのが寂しいのでした。


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2005年5月24日(火)

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