前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第222回
デンマークのもやし屋事始

私の日本人の友人Sさんは「もやしの栽培はいけるのではないか」
と考えました。
最近のような、健康食ブームがデンマークに広まる前でした。
お金を借りるのが嫌いな人で、
自分のできる範囲の規模で起業しました。
安い場所を借りて、一人で作業場をつくり、豆を買ってきて、
もやしを育て始めました。
もやしは豆に水だけやれば、直ぐに育って簡単なようですが、
売るほどの量だと、かなり大変なのでした。
1日3回は、
もやしを浸した水を取り替えなければならないのです。

住んでいたマンションから、電車で仕事場まで、
毎日3、4回も往復する羽目になりました。
合間にはすることがたくさんあるし、
もやしに水をやらなければならないので、
まとまった睡眠時間もとれないのでした。
「そりゃクレージーだ!」と、
デンマーク人の友人達に言われながら、栽培をつづけました。
この時期は、私は、まだSさんを知りませんでしたが、
青白くて、もやしのように痩せていたそうです。
頑張ったおかげで、規模を広げるお金もできましたが、
大分体力を消耗したようです。
若いからできたことですが、
この時の無理で「後々身体にガタがきた」
とSさんは語りました。

見通しがたったので、廃業した乳製品加工工場を買い取り、
その2階に住み込みました。
これで、やっと栽培場の近くに寝泊りできるようになって、
落ち着きました。
出来たお金で日本製の大型のもやし栽培の機械を買いました。
Sさんは機械をいじくるのは性に合っているのです。
自動的に水の補給ができる、
睡眠時間も取れるようになりました。

Sさんは人の好き嫌いが激しいとかで、好きではないのですが、
人も雇うことにして工場の運営を始めました。
働いてくれた人達の国籍は、外国の人が多いのでした。


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2005年5月23日(月)

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