死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第3回
父親にとっての「息子の結婚」

一般の女の子は男の子よりも親思いだから、
娘は家を出ても残してきた親のことを心配する。
「正月休みには故郷の家へ帰りますので」
といって挨拶に来る若いカップルに、
「故郷の家って、どちらの家ですか」ときくと、
「実は女房の家でして」というのが目立って多くなった。

平安時代の頃は、日本人の結婚は
男の方が女の家に入り込んだそうであるが、
確かにその方がうまく行くような気がする。
婿と岳母の方が、嫁と姑の間よりトラブルが少ないからである。

そういう意味では、
若いカップルが独立して別世帯を構えることは、
完全に両方の「家」に対して中立であるというよりは、
妻の「家」寄りになるということであろう。

第二に、私の家のように、
子供の出入りを割合に自由に放任している家では、
自分の家がゲリラの本拠地みたいなものであるから、
娘も息子も家にいる時は盛んにゲリラ活動に出て行く。

むろん、娘は女の子だから、
息子を外へ出すような具合に、
全く自由勝手というわけには行かないが、
四六時中、監視つきというわけにも参らない。

ドロボーから守るのは、昼夜なしだが、
ド口ボーするのは、ホンの一瞬で事足りるからである。

結局、娘を信用する以外にうまい方法がないし、
親の言うことをきかないで手痛い目にあえば、
自業自得と本人に思い知らせるよりほかないが、
若い者は家にジッとしておられないのが当り前だから、
嫁入り前の娘が家にいるわけがないのである。

つまり嫁に行かなくても家にいないのだから、
嫁に行こうが行くまいが、家にいないことは同じなのである。

むしろ、嫁に行くと、嫁に行った先がゲリラの本拠地になって、
今度はこちらの家が遊撃の目標になるから、
娘時代に比べて、家に帰ってくる度合がふえて来る。

こちらがたまにしか家へ帰らないせいもあるが、
たまに家に戻ってみると、大抵、娘がいて
「お帰りなさい」と挨拶するから、
お嫁に行ってからの方が家の中は賑やかなのである。

ところが、息子が嫁を嬰り、
息子と嫁で新世帯を構えるとなると、話が違ってくる。
男親にして見れば、自分によく似たもう一人の男が、
一人前になって、自分の足元から巣立って行く話だからである。

最近の私たちには、
「種の保存」とか「家を継ぐ」とか
「祖先を祭る線香を絶やさない」とか言った
観念は稀薄になったが、
それでも人生も還暦に近づき、
そろそろ体力の限界が感じられる時点まできて、
自分の身代わりになって次の世代を生きる
もう一人の自分を見ることは、
「そろそろ選手交替の時期が来たなあ」
という思いにとらわれざるを得ないのである。

そういう意味では、息子の結婚は男親にとって、
「舞台を下りる時」を意識させるものであり、
「息子の結婚は息子の結婚で、オレの結婚じゃないさ」
と単純に割り切れないものが残るのである。





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2012年11月24日(土)

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