死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第2回
さらば息子よ我は行く

息子も娘も家を出る

息子というものは、 親が考えるよりも
ずっと親によく似ているものらしい。

つい最近のこと、うちの長男が結婚をして一家を構えたので、
親戚や友人に紹介するために
台湾・香港の旅行に同伴した。
そうしたら、どこへ行っても
「お父さんの若い時にそっくりですね」と言われた。

女房に言わせると、
「あなたの若い時よりは、ハソサムだけれど、
輪郭はまあ、大体、似ている」そうである。
子供の時は、長男よりも次男の方がよく似ていると言われた。
次男は幼い時から額が高く、髪がうすいので、
何となく中年以後の私を髣髴とさせるところがあったが、
生まれつき肌が白いところは似ていなかった。

成長するに従って、唇と顎の形の違いが
いよいよ目立ってきたので、
それほどでもないと思うようになったが、
その代わりに内面的な共通性が出てきた。

反対に、母親似と言われた長男の方が、
外見的には次第に私に似るようになっている。
稲作にも早生と晩生があるように、
うちの長男は頭脳的な開花が遅く、
「少し足りんのじゃないか」と心配したこともあったが、
女房も子供の時に母親から同じことを言われたそうだから、
これは母親似なのかもしれない。

要するに、遺伝子工学的に見れば、
何の不思議もないことかもしれないが、
子供というものは、外見から見ても
おそろしく親に似るものであり、
また内面的にも悲しいほど似たところがあるから、
親としては喜んでよいのかどうか、
判断に苦しんでしまうのである。

しかし、自分たちが結婚して家庭を持ってから、
凡そ二十五年から三十年たつと、
自分たちの若い時とそっくりの二世が育ち、
かつて自分たちがそうであったように
新しい家庭を出発させるという厳粛な事実に、
多くの人々は直面する。

私の場合は、一番先に生まれたのが長女だったので、
長女を嫁に出すのが先で、長男の結婚は、
子供の結婚式としては二回目にあたるが、
男親としては、娘を嫁にやるのと、
息子に嫁を嬰るのとではいささか勝手が違う。

ふつう娘を嫁にやる時は、
娘を他の男に奪われるような心境になって
目頭の熱くなるのを押えきれないときくが、
私の場合はむしろ逆であった。
というのは、一つには戦後、「家」という概念が
ほとんど崩壊して、結婚するといっても、
「家」から「家」へ嫁に行くということがなくなったからである。
娘も家を出るが、 息子の方も同じように自分の生家を出る。





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2012年11月23日(金)

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