死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第9回
倹約を奨励されても…

田沼の偉かったのは、農業以外の収入をはかるために、
たとえば、大名に御用金を貸したり、
また百姓や町人に帯刀の特権をあたえたり、
あるいは、印旛沼や手賀沼や鉱山開発に力を入れたことである。

つまり倹約を強いる代わりに、
生産をふやそうと心がけ、
そのために貨幣の改鋳をしてインフレ政策をとった。

おかげで「鐘一つ売れぬ日はない」
江戸の好況をつくり出したが、
そのあとを受け継いだ松平定信が倹約令を出し、
また従来の借金は一切帳消しにして
返さないでよろしいといったので、
いままで借金で苦しんでいた連中は大喜びをしたが、
その代わり、金に困って
借金しようとしても誰も金を貸してくれなくなって
あわてることとなった。

節約を強制されれば江戸中が火が消えたようになる。
かつて田沼の追い出しに一役買った御三家が
また集まって定信の追い出しにかかり、
定信の政権はたったの七十四カ月でおしまいになった。

松平は白河藩主だったから、
それにひっかけて
「白河の清き流れに住み兼ねて元の濁りの田沼恋しき」
という狂歌が残っているが、
何となく当代の田中角栄と三木武夫の争いを
連想させるような話ではなかろうか。

高度成長後の日本ともなれば、
さすがに倹約令で経済をもちなおせると
思う人間はいなくなったが、
莫大な借金で国が傾きかけてきたので、
国の支出に関する限り、
「行政改革」が至上命令になってきた半面、
景気振興のためには倹約令どころか、
どうやって需要を喚起するか、
やっきとなっているところである。

従って、「贅沢三昧、これでいいのか」といっても、
私たちの耳にはすんなりと入らないようになってしまっている。





←前回記事へ

2012年11月30日(金)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ