死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第17回
テーブルでの憂鬱

どうも席順に最後まで不満が残るとすれば、。
不満を別の形で緩和する方法はないものであろうか。
何年か前に、娘の結婚式があった時、
娘が当日の来客のカードをつくって
席の割り振りを試みたことがあった。

カードといっても
短冊に一人一人来客の名前を書き込んだものであるが、
どうしてこういうものをつくるかというと、
図面に名前を書き込んで行くだけでは、
書いたり消したりしているうちに名前をおとしたり、
二重に書き込んだりする心配があるからである。

娘はそれをホテルオークラの宴会係の人からきいたそうであるが、
一見面倒臭そうに見えても、
なるほどいいアイディアだと思った。

それにしても難儀そうに札合わせをしている娘を見て、
「簡単なことじゃないか。パパなら二時間で片づけてみせるよ」
と言ったが、実際に自分でやってみると、
何と三日間もかかってしまった。

というのは座席の案内をもらって席についてみると、
右も左も未知の人に挟まれてしまうことが多いからである。

先ず隣の座席の名札を覗いてみる。
続いて名刺の交換をして相手の肩書を見、
職業や地位の見当をつける。

世間並みの挨拶コトバを二、三交わしたりするが、
もともと懇意な間柄ではないから、
会話は途絶えがちである。

来賓の祝辞は退屈で、出てくる食事は冷たくてまずい。
その上、隣は疎遠な人となると、
へレン・ケラーじゃないが、
人生の三重苦を背負い込んだような
憂鬱な気分になってしまう。

そういう体験を何回となく繰り返してきたので、
隣に誰を配するかは
きわめて重大なことだと私は思っている。





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2012年12月8日(土)

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