死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第22回
ひそひそ話ができる配慮

つまり結婚披露宴の席順は、
どうせ八方美人的な解決ができないなら、
(1)親しい友人同士で隣合わせになる、
(2)商売上、役に立つ人と一緒になる、
(3)趣味、嗜好で話の合う人とおしゃべりができる、
(4)かねて知り合いになりたいと思っていた人と
同じテーブルに坐る、といった原則で貫くことにしたのである。

但し、私や女房の親戚ときたら、
カナダ、アメリカ、香港、台湾、
シンガポールから集まってくるし、
日本のしきたりも日本の言葉もわからないから、
テーブル・スピーチをきいても
「家鴨が雷鳴をきいているようなもの」である。

これらの人たちが退屈しないように、
同じテーブルで
ひそひそ話ができるようにしてあげなければならない。

幸いなことに中国人は、結婚式に関する限り、
席順がきまっておらず、来た順に勝手に坐る習慣だから、
席の上下にこだわらないという利点がある。
従って、私たちに一番近い
末席と見なされているテーブルに坐らせても
大して文句は言われない。

何しろ中国では新郎新婦と同じテーブルに
両家の両親が坐るのだから、
その両親が末席にまわること自体、勝手の違うことであり、
その両親のすぐ隣に配置されても、
「多分、これが日本のしきたりなんだろう」で、
うやむやになっておしまいなのである。

この点、政治家のセンセイにどこに坐ってもらうかは、
いささか頭の痛いことである。
政治家を社会的に地位の高い職業と考えている向きも
広い世間にはある。

とりわけ田舎に行けば、
代議士は市会議員や県会議員と比べれば「大センセイ」である。
だから、私が田舎の記念行事の講演に行っても、
衆参両院の議員たちは大抵県知事と同じラインに坐っている。

しかし、日本のトップの社長さんたちの間にはさまれると、
資金の援助をしてもらったり、
票集めの世話になったりするから、
物を頼まれたりする場合のほかは
議員さん方が頭を低くしているし、
文士とかジャーナリストとか
芸術家と言われる人々のなかに入ると、
「世におもねって生きる人間」
として逆に見下されるような一面を持っている。

だから、政治家だけまとめて、
来賓席のすぐ隣りくらいのテーブルに坐ってもらうのも
一つの方法だが、さきにもふれたように、
政治家は浮世の義理で出席している意識が強く、
自分のスピーチが終ると、
すぐに姿を消してしまう習性があるから、
うっかりすると、メインに近いテーブルが
丸ごと空いてしまう心配がある。





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2012年12月13日(木)

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