死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第23回
政治家は分散すべし

私は考えた末に、政治家も、
経済評論家のセンセイと同じように、一人一人切り離して、
各テーブルに一人ずつ配置することにした。
その代わり同じテーブルには、
同じ県出身の有力者たちに坐ってもらうことにした。
兵庫県出身議員には神戸や芦屋の実業家たちが、
愛媛県出身の議員には松山の実業家たちが同席すれば、
期せずして後援会の集まりみたいになって、
座席が下すぎると文句を言っているひまはないだろう。

その代わり、政治家にはテーブル・スピーチはしていただかない。
どうしてかというと、政治家のスピーチは、
常識の上塗りをしているようなところがあって、
言わないうちから次に何を言おうとしているか予想できるので、
来客が誰も笑わないからである。
事前にスピーチを頼まなくとも、センセイ方は
いつでもスピーチにご指名される心準備はできているし、
そのつもりで他人のスピーチをききながら、
今か今かと自分の番を待っている。
そうこうしているうちに宴会が終ってしまうという寸法である。
しかし、実際には、私の狙いは全くの不発に終ってしまった。

ちょうど息子の結婚式の少し前に、内閣改造の動きがあり、
次期閣僚の思惑が入り乱れて、
「出席」と返事をよこしていた議員たちが、
野党を除き文字通り一人残らず、
取消しを通知してきたからである。
自民党の議員さんたちが大臣の椅子をめぐって
こんなにも浮足立つものか、と改めて目を見張った。

私は議員と閣僚を分離して、議員は閣僚になることができず、
閣僚になった者は議員を辞職する制度に切りかえなければ、
大臣病患者が益々ふえて、
日本の政治は健康体にならないという意見の持主であるが、
事実を目の前につきつけられて、
こんな有様では大臣が官僚たちから内心バカにされるのも
無理もないなあ、と思った。

さて、結婚式の最大のヤマ場は何と言っても
テーブル・スピーチを如何に楽しいものにするか
ということであり、
その盛りあがり方次第で演出の成否がきまってしまう
といってよいだろう。
しかし、披露宴の裏方としては、
その前にまだいくつかきめておかなければならないことがある。
たとえば、お化粧直しは何回やるのか、
新郎の方もやるのかやらないのか、
スピーチとスピーチの間は何でつなぐのか、
また新郎新婦の母親に花束贈呈をやるのかやらないのか、
また引出物は何にするのか、
といった細かい段取りもきめなければならない。





←前回記事へ

2012年12月15日(土)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ