死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第30
贈物は最高級品を選ぶべし

余談はさておいて、他人に物を贈るのには、
一つの原則があると私は思っている。

それは「高価な部類に属する商品の中の安いものではなくて、
安価な部類に属する商品の中で最も高いもの」を贈ることである。

たとえば、二万円の予算で人に物をプレゼントするとする。
二万円で腕時計を買っても、腕時計には百万円するものもあれば、
二百万円するものもあるから、
二万円では一番安いものしか買えない。
だから、もらった人も安物をもらったとしか思わない。
ところが、二万円でスリッパを買ってプレゼントしたとする。
スリッパは一般に安いものだから、
一足で二万円もするスリッパはイ夕リア製か、
フランス製で最高級品だろう。

そういうものを金持ちの人でも欲しいと思うが、
金持ちにはまたケチなところがあるから、
自分では買うのをひかえている。
そういう人に思いきってスリッパの最高級品を贈れば、
重宝なものをくれたと言って喜ばれるし、
必ず使ってもらえることにもなる。

したがって、結婚記念に友人にプレゼントをする場合でも、
二万円でコーヒー茶腕のセットを買うくらいなら、同じお金で、
とびっきり高いロイヤル・コペンハーゲンのコーヒー茶腕を
二つだけとか、ジョージ・イエンセンの銀の匙を
二本だけ買って贈った方がよい。

安い物はすぐに捨てられてしまうが、
身分不相応に高価なものは必ず大切にされるからである。

結婚式の引出物についても、ほぼ同じことがいえる。

娘の結婚式の時も、以上述べたような通弊をさけるために、
(一)小さなもので、(二) 実際に使ってもらえるもので、
(三)夫婦で一つというケチなことを言わずに、
一人一人にあげられるもの、ということで、
さんざ知恵をしぼった末に、
「ティファニーの純銀のポールペン」をご来駕の一人一人の人に
すべてさしあげた。

常識を破る小さな包みに、もらった人は一瞬、
戸惑った様子だったが、のちのちまで語り草になった。

龍角散社長の藤井康男さんが、
その時の思い出を雑誌『現代』に書いていたのを
読んだことがある。

娘の時の引出物がちょっと話題になったので、
長男の時はその分だけ頭が痛くなった。
長男の方にも、姉さんに負けまいという競争意識が働くから、
クレージュのアルバムにしようか、
ナザリノ・ガブリエリのメモノートにしようか、
とさんざ迷ったようである。

娘の結婚式にも出席したことのある娘の友人で、
家族ぐるみのつきあいをしているお嬢さんが、
結婚式の直前になってから息子に、
「悦ちゃん、今度の引出物はなぁに?」と聞いた。
息子が、「邸家にふさわしいものですよ」と答えたら、
「じゃ、お金?」と聞きかえされたのには、
うち中の者が笑いころげてしまった。
「そんなものじゃないよ」と息子が首をふったら、
「じゃ、黄金の延べ棒?」
これには全くまいってしまった。

どうも“お金儲けの神様“などと
ジャーナリズムが盛んに宣伝するものだから、
「邸家にふさわしい」というと、子供の友達まで、
お金を連想してしまうらしいのである。

息子が「邸家にふさわしいもの」と言ったのは、
実は私たちでないと、とても考えつかないもので、
また私たちでないと、とても準備のできないもの
というほどの意味なのである。





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2012年12月23日(日)

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