死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第39回
祝辞志望の目白三平

今度も『週刊新潮』が結婚の欄で取りあげてくれたから、
出席の返事をくれた人のなかには中村武志さんのように、
自薦他薦で「祝辞志望」と申し込んでくれた人もあった。

目白三平こと中村武志さんとは二十何年来の友人であるが、
中村さんほど私と両極端という感じの人も少ない。

小説を書いても、中村さんは終始、
しがないサラリーマンの姿勢をつらぬいているし、
「弱さ」や「へマさ」を売り物としている。

また選挙に出る時も、日本間借人協会会長という
世間の常識を超えた肩書をわざわざ使っている。
世の中に、間借りをして家主からいじめられている人は
多い筈だから、そういう人が団結して
中村さんに清き一票を投じてくれそうなものだが、
実際には弱い者、必ずしも弱い者の味方とは限らず、
中村さんの方もそのへんは心得ていて
はじめから当落など眼中にない。
結果のいかんに拘らず、選挙を楽しんでいる、
という感じなのである。

いつだったか、私が歌謡曲の作詞にこって、
「ラーメンの歌」というのをつくって
藤家虹二さんに作曲してもらったことがあった。
そうしたら中村さんから、

「僕が“カレーライスの歌“というのをつくるから、
二人で AB 面にして売り出しましょうや。
抱き合わせなら、邱さんのがヒットしても、
僕は同じだけ印税もらえるから」

といって私を笑わせたことがあった。

その中村武志さんがうちの息子のために
テーブル・スピーチをやって下さると言う。
まことに有難い申し出だが、
スピーチの立候補は前代未聞だから、
司会のもず唱平君はもとよりのこと、
我が家の連中がビビッてしまった。

というのは、かつての目白三平も、
明治四十ニ年生れだから、今や七十三歳。
頭の回転はまだまだ大丈夫と思うが、披露宴の席上で、
うっかりとどまることを知らない長談義をされたら、
大へんなことになる。

最初から依頼を予定していた人たちには、
招待状の中に「スピーチをお願いします」
という紙切れをはさんで送ってあったが、
中村さんには招待状しか送っていなかった。

すると、結婚式も近づいた或る日、
中村さんから最新号の『サンデー毎日』に添えて手紙が届いた。
なかをひらいてみると、
「来る十一月一日のご令息世悦君の結婚披露宴における
小生のテーブル・スピーチを予め発表しましたからごらん下さい」
としたためてある。

私はびっくりしたが、雑誌を読んで、もう一度びっくりした。
とても十分や二十分ではすまないほど長いのである。
もっともこれは原稿料稼ぎという目的もあるので、
同情の余地はあるが、スピーチの独演会に、
自分で、所々に(笑)と書き込んだ用意周到さである。





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2012年1月5日(土)

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