死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第58回
「死ぬまで現役」でいられたら

私は戯れに、「株式会社」の長は社長と呼ばれているが、
下から一押しすると、社長が会長になる。
その次は相談役になって、会社からはずされてしまうが、
まだ上があるのだから、
" 式長"をつくり"株長"をつくればどうかと言ったことがある。
式長は、冠婚葬祭を司るトップ、
株長は、株主総会を主宰するトップということになる。

大企業ともなれば、冠婚葬祭は多い。
多忙な社長に仲人をたのむのは気がひけるが、
第一線から退いて手のあいた式長にたのむのなら
よいのではあるまいか。

また株主総会は形骸化してしまって、
なるべく短い時間に終了してしまうのが常識になってしまったが、
株主の注文や不平をきく組織があってもよいのではあるまいか。

式長をやって、人の扱い方のコツを覚えた人が昇格して
株長になれば、株主のストレス解消にも役立つと思うが、
どうだろうか。

大企業の中でも、いわゆる「財界」に進出して、
国全体の経済政策に噛を入れられるのは、
恵まれたホンの一握りの人々だけである。
これらの人々は、政府に対して発言をし、
社会的矛盾に対して調整役を買って出ている
という自負があるから、仕事が中断してなくなってしまいにくい、
「髀肉の嘆」をかこつ目にあわないですんでいる。

しかし、経団連の会長や副会長にも、
商工会議所の会頭や副会頭にもなれなかった人は、
上場企業の社長体験者のなかにもたくさんいる。

これらの人々にも、「死ぬまで現役」という
満足感をあたえるために、式長や株長の制度を開発して、
「名誉ある雑用」を仰せつけたらどうであろうか。
それがサラリーマン社長のOBに対する
せめてもの思いやりであるというものであろう。

もっとも、社長をつとめたほどの人なら、
自分の定年退職後の身のふり方について、
自分で善処するくらいの能力はあるであろう。

問題は、社長にも重役にもなれなかった
サラリーマンの定年退職後である。

定年になった男が毎朝、同じ時間に目をさまし、
つい永年の習慣で出勤しようとして、
奥さんに引きとめられる話はよくきく。

今までロクに家にいなかったのが、
年中、家にゴロゴロしていて、
家族から粗大ゴミ扱いされているようなマンガにもよく接する。

六十歳になってから、突如、一家の邪魔者扱いを受けるのは、
一家の大黒柱を長くつとめてきた人間にとっては、
不本意なことであろう。

そうした扱いを受けないためには、
経済的に依然として一家の大黒柱であることが
何より大切であるが、お金だけ持っていても、
仕事がなくなると、
人間は生きていることの張り合いを失ってしまう。
だから、 お金に劣らないくらい重要なことは、
恐らく「死ぬまで現役」という ことではないかと思う。





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2012年2月3日(日)

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