死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第59回
黄昏の長い路程

「死ぬまで現役」ということは、
自営業をやっている人にとっては当り前のことである。
私のような自由業は、
定期収入の道を得るために不動産投資をやる必要があったが、
職業としてはどこでやめさせられるということがないから、
「死ぬまで現役」は可能である。

最近のこと、定年退職をして、
最近すっかり元気のなくなった友人たちに会った直後、
「本当に定年がなくてよかったなあ」
と妻に言ったら、妻の日く、
「あなた、年をとったら、皆、同じですよ。
あなただって、そのうちにだんだん電話がかからなくなって、
最後は一人ですよ」
そう言われてみれば、
私と外界のコミュニケーションはすべて電話である。
一日に何十回となく電話がかかる。
仕事の邪魔になって本当にうるさいなと思うが、
もし一週間に一ぺんも電話がかからなくなったら、
生命の綱が切れてしまったようなものではなかろうか。
たとえ文句の電話であっても、
まだ電話のかかってくる間はハナなのである。

サラりーマンに比べれば、
いくらかましだとは言えるけれども、
第一線から退くことは、芸人にとっても文士にとっても、
ふさぎこむ第一のきっかけになる。

サラリーマンの場合は、
それがきわめてはっきりした形で来るから、
老いこまないことの条件は、定年になっても、
次にやれるような仕事を予め見つけておくことであろう。

定年と同時に、横すべりや天下りをして、
子会社や取引先に行くのは、安易な道であるけれども、
ここもまた押せ押せでクビにされてしまうから、
五年くらいで追い出されてしまう。

その時の年齢が六十歳か六十五歳では、
平均寿命の七十四歳まではまだほど遠い。

したがって、子会社にまわされるくらいなら、
まだ足腰のしっかりしているうちに、
「死ぬまで現役」でおられるような仕事を探した方がよい。
趣味を生かす仕事でも、
今までの技能を生かす仕事でもよい。

「お前はクビだ」と言われないためには、
小さくても自営業以外に方法はないのである。
ただ「お前はクビだ」と言われないようにするために、
一定のスケールの事業基礎を築こうと思えば、
やはり定年になってからでは間に合わない。

すると、また定年は四十歳がよい
というところまで逆戻りしてしまうが、
定年近い人にそんな意見を述べてもはじまらないだろう。

とりあえず「死ぬまで現役」でおられるような仕事を見つけて、
孤独にさいなまれないですむ老後を送る手立てが
どうしても必要である。

というのも黄昏になってから
あとの路程がやたらに長い人生が、
私たちの人生だからである。





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2012年2月4日(月)

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