死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第62回
宗教というソフトウェア

宗教は人間の不安や恐怖や
弱さにつけ込む商売といったら語弊があるかもしれないが、
そういう面を充たすことによって成り立ったものである。
ソフトウェアがなければ、
ハードもあり得ないが、ハードがなければ、
ソフトも生かされない。

したがって、宗教には儀式が必ずつきものであり、
儀式があれば、端末機も次から次へと考案される。
かくて宗教はソフトを売物にする一大企業集団となって、
全盛時には、何万、何十万という神職者たちを養うようになった。

この意味で最も偉大な企業家は釈尊であり、
一人の独創的教祖が現れて、以後、二千余年にわたって、
同じソフトで数百、数千万の仏職者たちに
飯を食わせてきたのである。

ところが、宗教というソフトの地盤を可能にしてきた人間の不安や
恐怖や弱さのかなりの部分が、
この半世紀の間に急速に解消されたり、
内容が変化したりしてしまった。

たとえば、抗生物質の発見や医術の進歩によって、
死に至る伝染病が根治されるようになったおかげで
人間は病気から解放され、
平均寿命がうんと延長されるまでになった。

また高度成長を遂げた日本のような国では、
国民の一人当りの所得水準が短期間に急激に向上したので、
人たは餓死の恐怖からも見事に解放されるようになった。

べトナムやインドやパキスタンや、
アフリカの発展途上国では、
今もなお飢餓の恐怖が支配しているが、
文明の方向は、「病気と飢えからの解放」
という方向に向かっているから、
更に多くの人々がこの悩みから、
解放されるようになるのも時間の問題であろう。

すると、宗教を支えてきた地盤のうちの
最も大きな部分が崩れてしまうから、
従来の宗教のソフトは説得力を失い、
映画産業が斜陽化するように、
仏門にも諸行無常の声が聞こえるようになってしまったのである。

あとに残された不安や恐怖や弱さの地盤は、
失業、倒産、離婚、交通事故、入学試験の失敗、盗難、
失恋といった、いずれも現世的なものばかりであり、
これらの問題に対しては、
経営コンサルタントや経済学者や実業家や、
また作家や弁護士や結婚コンサルタントや
警備保障会社の社長の方がずっと説得力を持っているから、
坊さんの出る幕はいよいよ狭まってしまったのである。





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2012年2月7日(木)

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