死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第63回
今や冠婚葬祭が収入源

残された最後の塞は、「葬式」だけになった。
本来、葬式は宗教業が提供する数多くの商品の中の
一つにすぎなかったが、
他のソフトがほとんど売れない商品になってしまったなかで、
「死の世界」だけはまだ革命が起っていないために、
僅かに命脈を保っている分野なのである。

だから、坊さんの収入源はここに集約された観があり、
ほかに商売らしい商売がないだけに、
人の死が待たれ、人が死ぬと、
ニッコリ微笑む仕儀に相成ったのである。

ちょうど客が減れば減るほど、バーの勘定が高くなるように、
死ぬ人が少なくなると、葬式の勘定も高くなり、
坊さんのお経や戒名料も値上がりする。

あんまり不当に高くなったので、
遂にテープに吹き込んだお経が普及するようになり、
法事に坊さんを呼ばないで、
ステレオの声量を上げることで
近所の耳をごまかす人が多くなりつつあるのである。

しかし、よく考えてみると、
あの世との仲介人として坊さんが
まだ何とか食いつないで行けるのは、
冠婚葬祭についての習慣に
まだいくらか惰性が残っているからだけのことにすぎない。

新しい葬式は既にそのきざしを見せており、
それが流行をはじめれば、
中間で利ザヤをむさぼっているような人たちは、
いっせいに排除されてしまうであろう。

たとえば、私のように「死後の世界」に
ほとんど興味を持たない人間でも、
いつかは死に直面する。

死に直面した時、
葬式なんかやらないでほしいと遺言する人も
この頃はだんだん増えてきたそうだが、
生きている間、仲良くつきあってきた友人たちにしてみれば、
何とか盛大に野辺の送りでもして
けじめをつけないと気がすまないであろう。

その場合、坊さんを呼んで、お経をあげてもらいますか、
と聞かれたら、私はやめてほしいと答えたい。
どうしてかというと、ふだん、親しくつきあってもいないのに、
死んだ途端に坊さんが現れるのは
縁起でもない話だからである。

だいいち坊さんたちが鐘や木魚を叩きながら
何やら隠っている経文は、
私には何を喋っているのかさっぱりわからない。

私は、日本語、福建語、広東語、北京語、英語を解するが、
残念ながら、坊さんの唱えるお経は解さない。

生前に仏門に帰依し、
お経を金科玉条として生きてきたのならともかく、
死んでから経文の俄か勉強では、
地獄の門も開けてはもらえないのではあるまいか。

まして戒名をつけるだけで
何百万円ものお金をふんだくられたのでは、
死んでも死に切れない。

死ぬ時くらい、せめてお金の心配をしないですむように、
安らかに眠らせてもらいたいものである。

森田たまさんが亡くなった時のこと、
家族の方から知らせを受けて家へ駆けつけると、
お棺の上に花がたくさん飾ってあって、
真ん中におたまさん自筆の色紙が立てかけてあった。

その色紙に、
「お世話になりました。一足先に向うに行って待っております」
といった意味のことが書いてあった。
シャレているなあ、とも思ったし、
いささかの苦笑も禁じ得なかった。

死の向う側にはたして何があるかは、
見てきた人がいないので、何とも説明しかねるが、
多分、炭酸ガスとカルシュームと水蒸気の世界であろう。

文学や宗教がそれをどんなに工夫化しようと、
それはその人たちの勝手だが、残された家族にとっては、
それなりの感慨はある。

そういうところへ、
ふだん何のつきあいもない坊さんや
牧師さんに上がり込まれても、
異和感があるだけで、とても悲しみをかみしめることができない。

だから、死ぬ前につきあいのなかった、
新しい人たちと今更つきあいきれないなあ、
という気持が先に立つ。

人の葬式はいざ知らず、
私は自分の葬式だけは旧来の方式にこだわらず、
このへんで一ペん白紙に戻して、
自分なりに新しくデザインをおこそうと思っている。

図面はまだきちんとできあがっていないが、
坊さんと坊さんの読むお経が
スケジュールに入っていないことだけは確かである。





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2012年2月8日(金)

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