死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第76回
「辞め方」の難しさ

プロ野球の世界で言えば、
長島監督がジャイアンツをクビになった時が一番話題になった。

私は野球については全くの門外漢なので、
これをどう解釈したらよいのか、
初歩的な知識すら持たないが、
日本中の同情を集めたのは、
長島がふだんからファンに受けがよかったことと、
もうーつは、ジャイアンツのオーナーの
ゴリ押しに野球ファンたちが
やるかたない不満を抱いていたからであろう。

大衆はいつだって悲劇の主人公の味方をする。
日本人は一所懸命の人に同情的であり、
その転落に一掬の涙をそそぐ。

長島は選手の時から独特の人気を集めてきたが、
クビにされて、おとなしく引き下がったから、
一夜にして義経的「悲劇の英雄」に
祭り上げられてしまったのであろう。

今でも、長島の特集をやったら、
スポーツ雑誌は完売に近い売れ行きをするそうだから、
長島神話が如何に根強いものか、
その一端をうかがうことができよう。

「美的感覚」という面から見れば、
長島茂雄の出処進退は、見事な幕切れと言ってよいだろう。

しかし、プロの選手としてなら辞め時を探すのは比較的簡単だが、
選手を引退して監督になった人の出処進退は
それほど快刀乱麻というわけにはいかない。

監督ともなると、単なるプレイヤーではなくて、
グループの責任者であり、一群の人々に対しても、
また企業に対しても、責任を感ずる立場に立たされるからである。

そういう人が「悲劇の英雄」になって、
これで第一線から永遠に退くのならば、
やがて忘れられておしまいになるからよいが、
もしこれから先もまた監督として
他の球団に一泡吹かせてやろうという野心があるのならば、
こういう人気を背負っていることは却って重荷になる。

「悲劇の英雄」が、
もしただの老兵にすぎなかったことがわかったら、
ファンたちは絶対に承知しないだろうし、
そういう危険を冒して長島を起用する球団のオーナーも
なかなかいないであろう。

あれこれと噂を立てられながら、
長島が監督として三年も浪人をしているのは
決して偶然ではない。
「辞め方」の難しさが「死に方」の難しさと
同日に論じられないのは、
辞めたあとにまだ続きがあるからである。





←前回記事へ

2012年2月21日(木)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ