死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第75回
有終の美を飾れ

「死ぬまで現役」が一番健康によい年のとり方だと言ったが、
死ぬまで現役でおられるのは
名実共に自己資本で運営している
中小の経営者くらいなものであろう。

プロ野球の選手や相撲取りは、実力の世界だから、
誰が見ても、もう駄目だということになったら、
年が若くても、身体がまだ元気でも、辞めないわけにはいかない。

プロ野球の選手は、それでもまだ四十歳近くまではもつし、
現役を辞めても、監督とか助監督とか、
もしくは解説者として、陽の当たる場所に残れる可能性があるが、
相撲取りは体力の限界が来るのが早いし、
年寄の株を持たなければ、
親方として部屋をつくることもできない。

株を先代の遺族から手に入れるための
資金づくりだけでも大へんだが、
うまくパトロンがついて部屋をもてるようになっても、
部屋の中から入幕する力士が出て来なければ、
部屋を維持していくのも容易でない。

とりわけ、横綱や大関になると、
この人たちの人気で相撲という興行がもっているのだから、
横綱の一人が休場すると、
もう一人がその分、頑張らなければならないし、
上位陣が揃って黒星をつけたりすると、
新聞にこっぴどく叩かれて人気がガタ落ちになる。

横綱になると、もう上はないのだから、
攻撃の標的になるだけで、
「いつまでもつか」という耐久テストを
やっているようなものである。
「男が土俵を下りる時」という象徴的な言い方があるように、
関取りにとって引け際ほど大切なものはないのである。

この意味で、横綱の退陣は、角界の人気を左右するだけに、
自分一人だけではきめられない難しさがある。
横綱に許された唯一の道は引退だから、
負け越せば引退すればよさそうなものであるが、
負けないのが横綱だと思われているから、
黒星が三つ四つも続いたら、猛烈な批判を浴びる。

といって、次の横綱が誕生しないうちに、
自分だけさっさと辞めたのでは横綱としての責任が果たせない。
そういった意味で、
北の湖の健闘ぶりにはなかなか好感が持てるし、
とうとう引退に追い込まれた若乃花には
多少なりと同情の涙が誘われる。

それに引き比べて、
もっとも美的節度に欠けた辞め方をしたのは、
何と言っても大関の増位山ではなかろうか。
輪島が引退声明をし、貴ノ花が引退声明をしたら、
途中まで黒星続きの増位山が
自分も引退すると言ってすぐに記者会見をやった。

看板力士が二人も引退したら、
相撲界がガタガタになることは目に見えている。
あとに残った者が責任を痛感して奮起するのが当然なのに、
大関転落必至と見た増位山は、
その場所さえ完全につとめようとしなかったから、
相撲取りにもずいぶんいろいろな人間がいるなあ、
と本当にびっくりした。

横綱、大関と言っても、
年齢的にやっと三十歳そこそこの若僧だから、
そこまで期待するのは無理だという同情論もないではないが、
私のような印象をもったのは
恐らく一人や二人ではあるまい。
相撲取りは人気商売だけに、
出処進退に「美的感覚」が要求されるのである。





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2012年2月20日(水)

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