死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第83回
辞めどきの違い

一代で築き上げた、 いわゆる創業者社長と、
バトンタッチで順送りになる傭われ社長では、
出処進退一つ例にとっても、世間の扱いが違っている。

そう業者社長は、自分がつくった企業であり、
実力社長であり、世間もそれを認めているから、
死ぬまで社長をやってもよいし、
自分で社長を辞めたくなれば、いつ辞めてもよい。
要するに出処進退の時期は自分で決められる立場にある。

こういう人が辞めさせられるのは唯一つ、
会社の業績が悪化して、借金がかさみ、
金融機関や取引先から退陣をせまられた時だけである。

自分で築き上げながら、
自分で社長の椅子を追われるのは悲劇である。
戦後で言えば、山陽特殊鋼の荻野一氏、
不ニサッシの佐野友二氏、
栗田工業の栗田春生氏などは、
非運の終幕になった。

あとでふりかえってみると、それぞれに欠陥があって、
「他人の言うことに耳を傾けない」とか、
「マーケティングがきちんとできていない」とか、
「計数観念がまるでなっていない」とか、
これでは倒産に追い込まれるのも無理はないなあ、
と思わせる面が多々あるが、
少なくとも或る時期は、時流に乗って
世間の注目を浴びる事業をやってきた人々である。

企業が小さければ、
倒産と同時に企業も人も消え去ってしまうが、
消え去るにはあまりにも巨大になった大企業では、
企業そのものは存続させて、人の方だけ消してしまう。
企業をつくった本人にしてみれば、
企業そのものを失ってしまうのだから、
実質上の倒産と何ら変わりがないと言ってよいだろう。

創業者社長の退陣は、「可哀想に!」
という同情を誘う一面があるが、
後継者である息子が無能なために会社がおかしくなった場合は、
世間の眼はきわめて厳しい。
永大産業、オリジン電気、東洋工業などの二代目社長は、
大株主の相続人であるが故に、
「負けてもらって」なった社長である。
したがって、一旦、駄目とわかると、
誰からも許してもらえず、
たちまち社長の椅子から引きずり下ろされてしまうのである。

このことは、順送りでなる傭われ社長についてもほぼあてはまる。
最近の日本の大会社は、
大半が法人株主によって構成されており、
銀行や保険会社などの機関投資家は、
よほどのことがない限り、
経営に対しては白紙委任状を出す方であるから、
社内重役の中から次期社長を選ぶ。

次期社長の指名権は、これまた原則として、
退任する社長が握っている。
もっとも、実力会長が頑張っているとか、
松下のように相談役の手に実権があるとか、
もしくは社内に複雑な派閥争いがある場合は、
必ずしも社長の思う通りにはならない。

しかし、それでも一旦社長になると、
実質的に社長の権限は絶大なものであるから、
会社の経営方針を左右できるし、
また自分の辞め時を自分の意思で決められるようになる。
そこで、一歩間違えると、三越や全日空や、
更には、創価学会や田中角栄元首相のような、
あまりカッコのよくない事が起るのである。

社員は定年があっても、
重役に定年のない会社がある。
重役にも定年があるが、社長だけは例外だという会社もある。
なかには、不文律があって、
社長の任期は長くて二期、計四年まで
という会社もある。

一般に、規定がなくても、
歴史のある会社には今までのしきたりがあるし、
あとに続く重役たちの思惑もからんでいるから、
よほどの実力者社長でない限り、社長になる前から、
いつ頃辞めることになるか、大体の見当がついている。

したがって、しきたり通りに、大過なく社長をつとめ、
皆に惜しまれて社長を辞める場合には、
あまり問題はないが、とんだ野心家が社長になったりすると、
なった途端に気が変わり、
永久政権への野望を燃やすようになる。

前記の「末娘の縁談がまとまるまで待ってくれ」
などというのは可愛い方で、死ぬまで辞めない積りの
覇権主義社長も、結構、たくさんいるのである。





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2012年2月28日(木)

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