死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第82回
出処進退の難しさ

ひるがえって、私たちの周辺を見回すと、
自分の地位や権カにしがみついたまま、
手を放そうとしない人たちが如何に多いことか。

もう二十年も前のことであるが、
或る時、私はオートバイ・メーカーとしての業績が
漸く認められて、
経営者の第一線に躍り出てきた本田宗一郎さんと
雑誌社のために対談をしたことがあった。

「日本では、大企業の社長さんになると、
よほど坐り心地がよいと見えて、
なかなか辞めたがりませんね。
ジャーナリズムに老害だ、と叩かれても、
聞こえんフリをしています。
どうしてかなあ、と思って聞いてみたら!
いやあ、うちの末の娘がまだ嫁入りしていないんだよ。
末の娘の縁談が決まるまで、ちょっと待ってくれ、
なんて返事がかえってきます」
私がそう言うと、本田さんも私には負けておらず
「じゃ、毛並がよくカッコのよい青年を集めて、
結婚斡旋所でもやりましょうか。
どこの会社の社長にどんな娘が売れ残っているか調査をして
一人一人、片づけて行けば、
日本の財界がたちまち若がえりするかもしれんね」

二人で腹を抱えて大笑いをしたことがあった。
日本の大企業は、資本が大衆化するにつれて、
社長を傭われ重役の中から順送りに昇進させる習慣になり、
大株主でない社員上がりが社長の椅子に坐るようになった。

社長といっても、もともとサラリーマン出身だから、
個人的な財力などあまり持っていない。
個人的には財力はないけれども、
会社のお金と人事を動かす地位に置かれれば、
権力はあるようになる。
権力を持っていると、人がヘイコラするし、
王侯貴族のような扱いも受ける。

私の見聞の範囲内でも、秘書室長あたりが率先して、
取引先の人たちに対して、
社長にはこういう具合に話をしてほしいと、
お世辞の言い方までいちいち注文をつける会社がある。
そんな会社の社長ではつんぼ桟敷に
置かれたようなものであるから、
可哀そうな社長さんだなと思うが、
ご本人は結構、坐り心地がよいらしく、
十年でも十五年でもあきずに坐り続けている。

こういう傾向は、大なり小なりすべての大企業に見られ、
銀行のような資金の提供を業にしている業種ではとりわけきつい。
たとえば現役の頭取であるのと、相談役に退いたのとでは、
世間の取扱い方がまるで違い、娘の縁談にまで影響をする。

だから、末の娘の縁談がまとまるまで、
といったセりフになって現れるが、
このことは頭取の椅子に「力」があって、
本人に「力」があるわけでないことを物語っている。
したがって頭取の椅子から滑りおちると、
「力」を失ってしまうから、
自分に「力」のない人は、
必死になって社長の椅子にしがみつく。

そのぶざまな姿を見せつけられると、
出処進退の難しさが改めて浮彫りにされるのである。





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2012年2月27日(水)

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