死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第102
六十歳は危険水域

「性格の不一致」が離婚の第一の理由にあげられているが、
「性格の不一致」なら、
もっとずっと若い時にわかっている筈である。

熱に浮かされて冷静さを失っている時なら、
「あばたもえくぼ」といったことも考えられないではないが、
一緒に寝起きをすれば、
百年の恋でも醒めるのに三年とはかからないであろう。
だから、結婚して三年とか七年とかで、
「性格の不一致」を理由に別れるのならわかるが、
銀婚式もすぎたあとになって、
「性格の不一致」ではあまり説得力があるとは言えない。

「いや、若い時は、子供たちのこともあったし、
世間体のこともあったから、ガマンをしてきたが、
年をとったら、そういうものはすべて気にならなくなった。
もうこれ以上、ガマンをしようとは思わない」
と女の人は言う。

若い色気のある時に言うのではなくて、
髪も半白となり、顔のたるみも目立ってから言うのだから、
この方はかなり説得力がある。

要するに、量的な不満が少しずつ積り積って長年月たつと、
或る日、突然、質的な転換が起って、
考えそのものが変ってしまうのである。

「あなた百まで、わたし九十九まで」と言い、
「偕老同穴」と言い、
結婚式の披露宴の高砂の踊りも
すべて翁と嫗の年齢まで睦まじくと願う心がこめられているが、
それはそういう年齢まで
双方が無事で生きながらえるのが
容易なことでなかったからであった。

ところが、昨今のように医学が発達し、
平均寿命が延びてくると、
「古稀」という表現自体が時代にあわなくなってしまっている。
この間も、或る友人の古稀の祝いがあって、
スピーチをさせられたので、
「古稀の会と書かずに、
ただ七十歳のお誕生日おめでとうと
書いてあるのがよかったですね」と褒めたら、
主催者が弁明に立って、
「七十歳になってもこんなにいつまでも若々しい人は
古来、稀れだという意味の会ですよ」とうまいことを言った。

ただ生きるだけなら、男女を問わず、
七十の坂は大抵の人が越えられるようになったので、
寿命の延びた分だけ多くの人々が
前人未踏の世界に踏み込むことになったのである。
男の厄年は、一回目が四十二歳、
二回目が五十五歳の前後と言われるが、
かつて五十五歳が定年であったことを思えば、
定年の前後はやはり厄年であり、
危険信号の出る年齢でもある。

それが五十八歳とか、六十歳に延ばされたとすれば、
多少、延びたとしても、
その前後が同じように危険水域なのであろう。





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2012年3月19日(火)

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