死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第109回
冠婚葬祭はちょっと型やぶりで

もし冠婚葬祭に際して、
いままでのしきたり通りに何でもやらなければならないとしたら、
日本はかなり堅苦しい、住みにくい社会である。

お祝いに対しては半がえしをしなければならないとか、
引越しをした時は向う三軒両隣りには
必ず引越しソバをくばらなければならないとすれば、
人間は平身低頭ばかりして生きなければならなくなる。

私たちはたまたま土地の人ではないし、
他所者なら風俗習慣を知らなくとも
仕方ないだろうと許してもらえるところもあるので、
しきたりをよく知っていても、
わざとでもしきたりを無視してしまう。

たとえば、結婚式には忌み言葉があって、
死ぬとか、切れるとか、別れるとかと言った表現は
極力避ける人がある。

私たちは縁起をかつぐ方ではないから、
結婚式の式場でも平気で別れ話をもちだす。
それは多くの場合、本音であるから、
人々の共感を呼ぶし、緊張感をほぐしてくれる。

中村武志さんの結婚スピーチなど
まさにそうした本音の好例であり、
いまでもあのスピーチは素晴らしかったねえ、
と語り草になっている。

だから、冠婚葬祭のしきたりを全く知らないのでは
非常識とそしられてしまうが、
それを知った上で、意識的にちょっとばかり無視してしまうと、
世の中は途端に住みよくなる。

日本の社会は古い伝統のあるところだが、
次々と外国の風俗習慣が取り入れられているところでもある。
少々世間の常識を無視しても
「あれ、変っている」と言われるだけで
村八分にされてしまう心配はないのである。

冠婚葬祭はちょっと型破りなくらいがよく、
ちょっと型破りをしようと思えば、
かなりの創意工夫が必要になる。

もし次々と創意工夫が行われるようになれば、
結婚式や葬式に行くのも
今までよりはずっと楽しみになるのではなかろうか。





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2012年3月26日(火)

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