死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第110回
スクラップ&ビルド

もう一つは世に言う美俗良風である。
敗戦によって過去の秩序を支えてきた道徳観念が否定され、
学校教育から「修身」といった課目がはずされてしまったので、
「国家」はもとよりのこと
「家」までも空中分解に瀕してしまった。

幸か不幸か、日本人は「会社」というカサの中に逃げ込み、
「会社」に忠勤をはげむことによって
世界一成長力のある生産秩序を築きあげてきた。

転勤して行く部長や課長を
新幹線のホームー杯占領するようなスケールで
見送りする光景を見てもわかるように、
他の国では全く見ることのできない新しい美俗良風が
定着しつつある。

会社の平社員には定年という制度があり、
社会の変化により多少の延長があっても、
基本的には会社から追い立てられることは、
洋の東西を間わない。

しかし、定年のない社長にも、
同じように”辞め時”というものがあり、
そこには「美学」と「哲学」が要求されている。

この日本的しきたりは厳然として生きているので、
ヘマなやり方をしたり、
辞め時を失したりすると、
バカかチョンのように言われてしまう。

こうした微妙なニュアンスは恐らくいくら説明しても、
欧米の人たちには理解できないのではあるまいか。

しかし、美俗良風も時代と共に
その基準に変化が起る。
一生を一人の男に仕えて終ることは、
かつて女の美徳と思われていたが、
アメリカに暴れ狂っている離婚の風潮を
日本だけが避けて通れるとはとても考えられない。

いまのところ、日本では男性の経済的優位が
まだ罷り通っているので、
アメリカのような家庭の破壊まで一足跳びには来ないと思うが、
それでも「女はそれをガマンできない」
という潮流は次第に大きな音を立てはじめている。

たとえ経済的に不利な立場にいても、
それをガマンできなくなれば、
女は家庭から出て行こうとする。

経済社会が女性に働く場所をあたえることは
間違いないから、
必要がやがて女に経済カを持たせることになる。

男にはもちろん飯を食う手段があるが、
女も同じように生活の手段があるようになれば、
「そこに破壊がある」とだけ思うのは間違いで、
破壊があるのは従来のバランスが崩れたからであって、
破壊のあとに新しい秩序が築かれる筈である。

新しい秩序がはじまれば、
新しい美俗良風がはじまる。
恐らく離婚など冷たい目で見る人など
いなくなってしまうであろう。

或る人が結婚斡旋所を開業したら、
次々と結婚の相手を探しに男も女も集まってきた。
ところが、相談に乗っているうちに、
実はもう一度、結婚をしようと思うが、
離婚の手続きがまだいろいろと残っていましてねえ、
と打ち開けられる。

それを片づけるのに一所懸命になっているうちに、
いつの間にか離婚斡旋所になってしまったというお話がある。
これなどは現代の世相をよく示す好例であろう。

私が離婚多発の世の中を予想したからと言って、
私が離婚賛成者というわけではない。

社会現象としてそう言うものがあって、
我々もまたそれに直面するとすれば、
うまくそれを乗りこえて行くだけの知恵を
身につけなければならない。

そういう知恵のない人は古い美俗良風の中に生きて、
世をはかなんで死んで行くよりほかないのである。


「死に方・辞め方・別れ方」 完結





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2012年3月27日(水)

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