流通業はいまや言い訳産業に
(1998年5月11日執筆  『Voice』98年7月号発表)
社会が成熟化しても、おなかが空くことに変りはない。おなかが空くから物は食べる。物は食べるけれども、物は買わなくなる。どうして物を買わなくなるかというと、必要な物は一通りあるようになって、狭い家のなかに物をおく場所がなくなってしまったからである。ならば物をおくスペースを拡げればいいじゃないかということになるが、たしかに住宅を拡げる運動を起すことも景気振興策の一つになる。しかし、住宅スペース倍増運動が景気対策になると考える政治家は少ないから、それが政策として採り上げられる可能性はあまりない。実際に起ることはといえば、地価の低迷するなかで、不動産開発業者が古い一戸建てをこわして新しいマンションに建てかえるくらいのことであるから、高値のときに比べて半額か、それ以下のマンションが市場にお目見えするということであろう。
それでも、安いマイホームが手に入るチャンスがふえるから、もっと大きなスペースを必要とする人が、現在住んでいる住宅よりもっと広くてもっと快適な家に移るようになる。また家を買って長期にわたってローンの支払いに追いまくられるよりも、賃貸ですませようとする人もふえる。そういう人たちが広くなったスペースを埋めるために、家具や生活用具になけなしの財布をはたくことも考えられる。
しかし、若い人は一世代前の人よりは、親から遺される家や財産もあることだし、あまり住居にお金をかけなくなるだろうから、衣食住のうち、住に投じられるお金は成長経済時代よりは減少に転ずるだろう。では自分たちの収入はどこに使われるかというと、物以外のものに集中することがますます多くなる。どう考えてもお金の使い方が成長経済時代とは変ってしまったのである。
お金の使い方はもちろん人によって違う。また、その人のおかれた環境によっても違う。したがって誰か特定の人をモデルにして、その人のお金の使い方を基準にしてお金の動きを判定することはできない。
しかし、同じ社会環境に住んでいる人に共通の傾向が生ずることもまた確かで、たとえばいまの中国大陸で皆が金、金、金とお金のことばかり考えているのに対して、一足先に物質的に充実した生活をするようになった日本で、多くの人々が生き甲斐や幸せについて真剣に考えるのは、やはりそれぞれの土地のその時々の風潮といってよいだろう。
その意味では、バブルの発生とそのあとに続く挫折感を契機として日本人の物の考え方に大きな変化が起っている。お金も使わなくなったが、それ以上に、お金の使い方が変ってきたのである。私はいつも人より少し早く世の中の変化に気がつくほうで、気がつくと人より少し早く方向転換をしてこれから世の中で起ることを生活に採り入れて実行してきた。
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