たとえば、世界旅行を、それも家族連れではじめたのはもう二十何年も前のことである。メシを食うために千里の道を遠しとせずに、フランスや香港に出かけて行ったのも、また自分の家にお抱えコックをもったのも昔々のことである。老齢化社会の到来を予想してそれを文章に書いたのは昭和四十二年のことだったし、健康産業という言葉をはじめて使ったのは、そもそもそういう言葉がまだなかったころのことであった。お金儲けの本もたくさん書いたが、「お金の使い方」を『中央公論』誌に連載したのは十七年も前のことである。
海外旅行もグルメブームも健康産業も、また「お金は儲けるためにあるものではない、使うためにあるものだ」という考え方もいまでは皆の常識になっている。また不景気になって皆が財布の紐を締めるようになると、私は逆に、縁あって財をなしたり、収入に恵まれた人は分相応にお金を使う義務があると思うようになった。お金がお金のある人の懐で足止めをくらうと、お金の流れが悪くなって経済の発展を阻害する。
だから、お金のある人は贅沢をすべきであって、人が贅沢をしたからといって目くじらを立てたり嫉妬したりすることはない。自分も心理的な抵抗を押し切ってお金を使うように努力してこそ人生なのである。
そういう考え方をモットーにして生活をしてきた私が、昨九七年の十月のヨーロッパ旅行で信じられないくらいショッキングな体験をした。二週間に及ぶヨーロッパ旅行でついにただの一ドルもショッピングのためにお金を使わなかったことである。私たちのヨーロッパ旅行は団体で行く安いツアーとはわけが違う。昔は夫婦だけで行ったこともあるが、最近は贅沢に共感してくれる同好のカップル何組かと一緒に出かけることにしている。飛行機もファーストクラスだが、泊るホテルもその土地でトップのホテルだし、昼と夜の食事はミシュランのガイドブックで三ツ星にランクされているレストランに、出発する二、三カ月も前から予約を入れている。
そういう金にあかした旅行だから、奥方たちもサントノーレやモンテ・ナポレオーネなどの有名店の前をだまって通りすぎるわけがない。そういう殿方だって、奥方の浪費にはいちゃもんをつけるくせに、自分の欲しいものは三年後も五年後もまだ着れるくらい流行の先端を行くおしゃれ用品を山ほど仕込んで帰る。行く前からそれくらいの覚悟をしないと、とても無事には帰ってこられない旅行なのである。
今度の旅行にしても、香港を出発点にしてエール・フランスでまずパリに飛び、飛行機を乗りついでワルシャワに向った。クラクフ、ワルシャワ、ベルリン、ブラッセル、ブルゴーニュ、パリ、そして香港という順序で、ワルシャワはブリストル、ベルリンでは新しくできたばかりのケンピンスキー・アドロン、そしてパリではサントノーレのブリストルに泊った。ブラッセルではベルギーで二軒しかない三ツ星のコムセソアとブルノーに最高の食事をしに行ったし、ブルゴーニュではジョージ・ブラン、ラムロワーズ、コート・サン・ジャック、コート・ドールと三ツ星レストランのホテルに一晩ずつ泊って、ブルゴーニュの銘ワインを昼夜ずっと満喫して歩いた。
パリのブリストルは流行の震源地のド真ん中にあるから、一足外へ出るとエルメスをはじめ、ヨーロッパ中のブランド商品がひしめきあっている。そのなかを二日間も行ったり来たりしたが、私はとうとうシャツ一枚、靴一足買わなかった。お金が惜しかったからではない。買いたい物がなかったのである。ベルリンでは有名なカー・ディー・べーに行き、十年前、マイセンやヘレンドの陶器を山のように買った陳列棚の前に立ったが、もはや食指を動かすような逸品には出食わさなくなった。
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