お金を使ったら税金を負けてやれ
(1998年5月11日執筆  『Voice』98年7月号発表)
しかし、世紀の奇跡を惹き起した日本はまだ滅びてしまったわけではない。高度成長の原動力となった日本人の技術力や勤勉さはそのまま生きているし、この半世紀に及ぶ蓄積によって資本力も備わるようになった。まさに「鬼に金棒」のこれだけの条件を備えもった日本が、米ドルを稼ぎすぎたために起ったバブルの反動で、一転して衰亡に転ずるとはとても信じられない。むしろデフレによる景気の低迷は一時的なもので、成長経済から成熟化社会への構造変化がほぼ一巡したら、日本の産業界は新しい方向に向って動きだすものと見るほうが正しいだろう。
ただし、経済の転換期にはさまぎまの障害が伴う。障害が大きければ大きいほど転換に犠牲を生ずるし、トンネルをくぐり抜けるのに時間がかかる。戦後この方今日ほど大きな犠牲を強いられ、かつ時間のかかった一大転換期はなかった。また今日ほど国民が指導者の不在を痛感している時代もないだろう。それというのも政治家も上層部の役人たちもいずれもが高度成長時代の人々であり、「つくれば売れた時代」の生産優先の発想で凝り固まっているからである。
生産優先の時代の立案者たちは、消費が不足すれば公共投資で不足した消費を補えばよいと考えてきた。最悪の場合でも、一時的に減税をやって消費に刺激をあたえれば、景気は自然に回復するものと信じている。だから今度の大不況でもそれを繰り返してきた。しかし、何回やっても効果はない。なぜならば、もはや投資で消費を誘導できないほど、消費は充実してしまったからである。それでもなお生産が需要をオーバーし、消費不足が目立つとしたら、公共投資や減税をするのではなくて、直接、一億二千万人の消費を刺激する以外に有効な方法はない。
消費を奨励するための方法はいくつか考えられる。消費税は消費を抑制するものだから、消費税を廃止するのも一つの方法である。しかし、日本では消費を奨励しなければならない時期に逆に消費税率を三%から五%に引き上げて消費を抑え込んだ。税法の立案をする人たちがいかに大局を見る目に欠けていたかを立証するものであろう。
国の税収だけを中心に考えたら、そういう考え方になるのはやむをえないし、いったん実施された税制を廃止するのは困難だという意見もある。またアメリカのように、日本より消費税率の高い国でも、他の条件さえ充たせば好景気が長期化しているではないかという反論もある。
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