もちろん、それをやるためには多くの代償と犠牲を国民に強いることになる。民主主義の世の中だから、政府のやり方に反対する意見もたくさん出るだろうが、銀行に襲いかかった大波を預金者がかぶらないですむようにしようと思えば、究極的には国が銀行の債権債務を肩代りして、払い戻しに応ずるよりほかない。
どうやってそれをやるかというと、一言でいえば、国がお札を増刷して肩代りをすることである。その金額がおよそいくらになるかは、不良債権の大きさによってきまるが、まだまだ流動的である。担保物件の時価が動けば不良債権の時価も大きく変るからである。
いまのところ不良債権の担保はほとんどが不動産で、換金のできないものが大半である。それも高値のときに比べて、五分の一とか、十分の一になってしまったものが珍しくない。それらの不動産を競売に付したあとの不足分が回収不能資金ということになるが、地価が上昇すれば、回収不能資金はたちまちその分だけ減少する。
だから銀行の債務を肩代りすると同時に、不良債権を減らすことに全力を傾けるのが政府の仕事である。政府が率先して地価を上げ不良債権を減らす政策に全力を挙げれば、銀行は体力を回復させることができるのである。
私は、こうした救済に必要な資金はたぶん百兆円になるだろうと、四、五年前の時点で推算した。一ドル百円時代の百兆円だから、最近『ニューヨーク・タイムズ』が指摘した一兆ドルと偶然に一致する。国のやる対策はだいたい後手に後手にとまわることが多いから、銀行界が焦げつかせた債権はおそらく百兆円を超えている。
それを救済しようとすれば、日銀特融とか、政府保証とか、形はいろいろ考えられるが、結局、日銀券を百兆円ほど増刷することになる。そうやって新しく創り出された信用が預金者を保護することになれば、銀行の経営陣が責任をとらされるのは避けられないとしても、不良債権は時間をかけて償却されることになって、金融界は一応正常に運営されるところまで戻れるだろう。
しかし、百兆円といえば、日本国民の所有する金融資産の十二分の一程度のお金である。千二百兆円のなかのかなりの部分が大波をかぶってなくなるよりは、お金の値打ちが八パーセントか、一〇パーセント程度目減りしたほうが国全体としては被害が少なくてすむ。
またお金が目減りすることによってインフレになることを心配する向きもあろうが、不景気があとをひいている最中だから当分は信用が膨張しても、デフレヘの恐怖にさいなまれて、そう急には物価高にはつながらないだろう。預金者にしてみれば、いつまでも○・五パーセントにも満たない預金金利をもらっているよりは、せめて米ドル並みの五パーセント程度の定期預金金利をもらうほうが望ましいし、金利上昇歓迎ムードも出てくる。
要は百兆円を小出しにするか、それとも気前よく一ぺんにばらまくかである。小出しにすれば、後向き資金に使われて抜本的再建が先送りされるだけのことである。どうソロバンをはじいてみても百兆円かかることは動かないところとすれば、外科手術のような手荒なことはやらないにしても、重点的なカクテル投薬で集中治療することが望ましいだろう。
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