ところが、第二次大戦で世界中の多くの国々が戦争に参加し、アメリカが主導権を握って連合国側の勝利に終ると、マーシャル・プランからはじまって、アメリカが敗戦国の経済再建に深くかかわるようになり、アメリカの発言権を強めただけでなく、アメリカの市場を日本や西ドイツなどの敗戦国にも開放したことから、世界を股にかけてモノが動くという新しい時代がはじまった。
自分の国の市場を自分たちのかつての敵にひらいて「売り込みたかったらどうぞ」と太っ腹なところを見せるのは、アメリカのような移民大国でなければ考えられないことである。アメリカが率先して自らの門戸をひらいて外国製品を受け入れたが、それが経済のグローバル化のスタートになった。自らの門戸をひらいて他の国々のモノを受け入れた以上、アメリカが他の国々にも同じ条件を要求するのは不自然なことではない。
しかし、他の国々は必ずしもアメリカの要求をすんなり受け入れたわけではなかった。自由貿易は経済強国に有利な思想であって、弱国がその要求に応じて市場をひらいたら、市場を強国の商品に席巻されるばかりでなく、強国の大企業が進出して市場を独占し、国内の既存企業が淘汰される心配があったからである。
アジアの他の国々はまだアメリカに輸出できるだけの実力を持たなかったし、また輸入するにしてもそれだけの外貨を持っていなかったので貿易の拡大にはつながらなかったが、日本はドイツと同盟してアメリカを向うにまわして戦争を仕掛けたくらいだから、アメリカにメイド・イン・ジャパンを輸出できるようになってからも、逆にアメリカ製品とアメリカ企業の進出に対しては異常な警戎心を働かせ、高い関脱率と輸入制限と、資本進出に高い障壁を設けてアメリカをシャットアウトしつづけた。
そういう日本の鎖国主義に対しても、アメリカは大国の悠揚迫らざる態度で対応し、ずっと日本のわがままを許してきたが、日本の高度成長が貿易収支の黒字化を定着させるようになってからはさすがに堪忍袋の緒を切らすようになり、オレンジや牛肉の自由化からはじまって、米の輸入を迫り貿易摩擦で一挙に火花が散るようになった。ニクソンの頃は日本からの輸入品に一〇%の課徴金をとることで日本の株式市場に空前の大暴落をもたらしたが、課徴金制度を廃止したあとも、日本からの貿易攻勢はとどまることを知らず、日本側の貿易黒字はアメリカ側の激しい反発にもかかわらず、いまなお続いている。
もしこれが日本とアメリカ以外の第三国との貿易なら、台湾のように日本からの貿易赤字をアメリカヘの貿易黒字でカバーできる形でない限り、直ちに暗礁に乗りあげていたにちがいない。あまり入超が続くとカネを払えなくなって輸入禁止か、高関税で日本製品を締め出すよりほかなくなるからである。
その点、自由貿易を建て前にしてきたアメリカとしては、赤字になったからといって、すぐに輸入にストップをかけることもできず、結局はドル安円高という為替レートの調節によってピンチを切り抜けてきた。一ドル三百六十円が最高八十円まで切り上がったプロセスで、日本人は世界一、賃銀の高い国になり、かつ世界一、地価の高い国にもなったが、それが必ずしも日本のしあわせでなかったことは、バブルの崩壊したあとの不良債権に悩む今日の日本の姿が示している通りである。
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