資本主義は、マルクスの予言通り行き詰まりを見せたが、しかし、崩壊はしなかった。大恐慌によって、世界は大不況におちいり、日本でも、農村地帯では貧農が娘を売るという悲惨な光景が見られたが、やがて軍事力を背景として大陸侵略へ突っ走ることになった。一方、他の先進国では、景気を恢復させるために国家財政が国民経済に次第に大きく干与するようになり、やがて公共投資、累進課税に支えられた「大きな政府」が誕生することになった。なかでもケインズ理論を実地に応用して見事に景気を立ち直らせたルーズベルト大統領のアメリカが世界経済の主導権を握ることになり、その威勢は約五十年続いてきたのである。
ところが、一九七〇年代も終わり頃になると、「大きな政府」による景気のテコ入れがすっかり効かなくなってしまった。不況におちいった国民経済に対し、政府が赤字財政を承知で莫大な財政支出をしても、景気は恢復のきざしを見出せないばかりでなく、不況のままインフレだけが進行するという、いわゆるスタグフレーションが常態になり、どこの国でも、「インフレ」と「国家財政の大赤字」と「福祉予算の重荷」と「失業の増大」がドッと表面化してきてしまったのである。「大きな政府」を介入させることによって、命脈を保ってきた資本主義は、ここへ来てほぼ壁に頭をぶっつけたことになり、再び一大転換を強いられることになったのである。
しかし、資本主義と異なった体制を選んだ共産主義国は、資本主義の次にくる社会制度を目指して誕生したものであるが、実際にやってみると、「国民の働く意欲を阻害する制度」であることが広く知られるようになり、かつ「共産とは貧乏の代名詞ではないか」と思われるほど、生産性のあがらない状態が続いた。しかもここへ来て、その矛盾が一挙に露呈してきたので、共産主義体制をお手本にしようとする空気はほとんど喪失してしまった。要するに、世界中が今までやってきた生産様式と社会体制では生きのびられないところまできてしまったのである。
日本の場合は、その間にあって、敗戦によって全植民地を失うとか、資本も資源もない貧乏国からの再出発という大変動があったが、昭和二十年の敗戦から始まって約三十五年間、比較的順調な時代が続いた。正確にいうと、日本の高度成長経済は、昭和三十年からはじまっているから、日本の今日の体制は、この二十五年間に築かれたものといってよい。
たまたま人間の一生で、商売や職業を選んだり、それに従事したりする期間は、二十歳から五、六十歳までであるから、大部分の人々の商売に対する体験は昭和二十年からはじまった戦後のものである。そのうちで二十年から三十年までを体験したことのある人は、貧困や停滞や失業や飢餓を多少なりとも知っているが、それ以後に社会に出た人は、混乱期や停滞期の苦しみについては未体験だということになる。
そうした人々にとって、これから起ころうとしている変化はかなりショッキングなことになる可能性がある。なぜならば、昭和三十年から四半世紀、私たちが日本にいて体験した社会現象は、日本の歴史上においても、また世界の経済史上においても、かなり特異なものであり、それをもとにして、次の変化に対処することは困難だと思われるからである。
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